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病弱な若主人×屈強な使用人
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お登勢は十六の若さで老舗の大店、矢尾井屋へ嫁いだ。
美しく愛情深い女だったが、生来体が弱かった。
やがて授かった嬰児を産み落とすと、命を使い果たしたかのように産褥で息を引き取った。
残された主人は、母を亡くした一粒種が愛おしいやら不憫やらで、いてもたってもいられない。
長寿を願って長久と名付け、上等な衣を誂え玩具を与え、屋敷の奥で風にも当てずに育てた。
長久は母親の血を濃く継いで、生まれながらに美しかった。そしてやはり病がちであった。
外にも出してもらえない長久の遊び相手は、専ら乳兄弟の弥助だった。
咳が出たとき背を擦ってもらうのも、手習いの出来を競うのも、外の話をねだるのもこの弥助だった。
弥助は長久よりもふたつ上である。
生真面目で頑固な性格から、我が儘な向きのある長久をよく諫めた。
父に甘やかされ、女中に傅かれて育った長久は苦言にしばしば癇癪を起こしたが、
弥助は意見を曲げず、長久が元の冷静さを取り戻すまで辛抱強く傍についていた。
うちの我が儘息子も弥助の言うことならば聞くようだと、主人も一目置いて恃みにしていた。
弥助が不在にしているとき、長久は決まって体調を崩すようになった。
自分が伏せっていると聞けば、弥助が万事を差し置いて駆けつけてくれることを知っていたのだ。
初めて身につけた狡知だった。
壁と襖で仕切られた十数畳の世間に、長久は不満を持たなかった。
些か窮屈ではあるが、孤独を感じたことはない。
窓の向こうに四季があり、無聊を慰める書物があり、傍らに弥助さえいれば全ては事足りた。
蔓草が支柱をとらえてきつく絡みつくように、どこか歪に結びついたまま揃って大人になった。
壮健そのものだった主人が、冬場のはやり病で呆気なく身罷った。
長久は勉学半ばの若輩ながら、跡を継いで主人となった。支えたのはやはり弥助だった。
幼少より商家に入って学んだ経歴もさることながら、剛直な人柄で家人の信頼も厚かった。
「弥助もいい若者になりました。どうでしょう、ここらで嫁を取らせては」
ある日、番頭が言った。既に相手も見繕ってあるという。
品行方正、楚々として評判もめでたい良家の娘だ。弥助とはさぞかし似合いだろう。
長久にしてみれば青天の霹靂だった。番頭の話に何と返答したのか、確とは覚えていない。
気分がすぐれない、その話は後日にと言ったきり奥へ引っ込んでしまった。
弥助が、血相を変えて出先から舞い戻ってきた。
「坊ちゃ――いや、旦那様。お加減はいかがです」
「大したことはないよ、済まないね」
長久は壁に凭れて座ったまま、柔和な面差しに手本のような笑みをかたちづくった。
一瞥して弥助は顔をしかめた。どこか異様だ。いや、どこもかしこも異様だ。
長久は微笑んでいる。ひどく思い詰めた目をして、
口元だけを弓張り月の形につり上げて、上辺ばかり笑みの体裁を整えている。
寒いのだろうか、まるめた襦袢をしっかりと胸に抱え込んで震えている。
傍へ行こうとすると、長久は壁づたいに後ずさった。
「近寄らないでおくれ……後生だから……」
掠れた懇願を無視して、弥助はなおもにじり寄る。
そのまま間近に顔を覗き込もうとして、ふいに抱きすくめられた。
華奢な体つきからは想像もつかぬ、息が止まるような力強さだった。
「……お前は私のものだ。神様仏様が、私だけのために与えてくだすったものだ。
これまでずっとずっとそうだったんだ。今更、どうして手離すことができる」
呪詛でも呟くように長久は囁いた。
平素の柔らかな物腰とはかけ離れた激しさに、弥助は思わず目を瞠った。
「おかしなことを仰る。弥助はいつまでもお傍におります」
「そんなことは世間が許さない。……だから、私は今ここで、お前を傷物にしてしまおうと思う」
強く唇を吸われ、弥助は瞬きも忘れて息をのんだ。
朴念仁といわれる弥助でも、ここまできて主人の意図が飲み込めぬほど野暮ではない。
あおのいて固く目を閉じた。狂気の沙汰だと思いながら、主人に抱かれた。
腕っ節には自信があるし、はねのけることは造作もないだろうが、
主の肌に傷のひとつもつけるくらいならば、死んでしまった方が余程ましだった。
「どうして、泣くんです」
事が済んで子供のように泣き続ける主人を宥めながら、弥助は昔のことを思い返していた。
先代が存命の時分から、己の主人は既にこの人だけだった。
頼られるとき、縋りつかれるとき、この人が自分のために小狡い嘘をつくとき、
背筋が震えるような歓喜を覚えずにはいられなかった。
珠のような彼の涙は、そんな後ろ暗い悦びを、いつでも密やかに呼び起こす。
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[[大好きだからさようなら>23-629]]
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