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明治~大正あたりの雰囲気 ---- 「初めは、小さな港の、漁師町だったんだよ。春になると大量の稚魚が やってくるから、そいつを掬いあげて一斉に佃煮にする、家々からの 甘い香りが今でも風物詩として残ってるだろ。それが鎖国の眠りから 覚めて、大きな外国船も停泊できるような港が必要とされたんで、 ここは商船が何隻も去来するような一大商港として発展していった 訳だ。ああ、もっとゆっくり走ってくれていい。舌噛んじゃうから。 一時期は西の方で戦争があり、サーベル下げた兵隊がいっぱい宿営して いてね、町全体が混然としてた。農村から上ってきたような者もいた し、そうそう、田舎の方とは流行の差があって、ざんぎり頭に混じって 未だ丁髷を結ってたんでそういう連中は一目で分かったんだ、それから 外国人ももちろんいた、厳めしい警察官も至る所で目を光らせてた。 日本の野蛮なイメージをさっさと払拭したかったらしくてね、立小便 とか、町中でもろ肌脱いだりとか、それまで自然だった奔放な行為も 取り締まりの対象になったんだ。特に交番が多く設けられていたのは 花街の中だったんだけど、あれは犯罪ではなく、遊女たちの足抜けを 防ぐためのものだったんだよ。 花街と言えば、君の祖父さんというお人はまたよそ見が多くて、座敷 から座敷へ忙しい芸子さんを笠の影から眺めて立ち止まることなんか しょっちゅうだったし、柵の奥でしなを作ってみせる白粉顔の娘さん達 に見蕩れてつんのめったりと、客としては気が気じゃなかった。そこを いくと、君なんか真面目だね。 いや、私は気に入ってたんだよ。いい加減な反面、他の俥夫には言え ない様なことも頼める気安さと遊び心の持ち主だったから。今に至る まで私は乗ったことがないんだけど、鉄道が普及して、庶民でも気楽に 旅に出るようになった時代でね、駅舎から土手に沿って一直線に延びる 線路、そいつから発進する鋼鉄の列車と並んで、駆け比べをして もらったこともあった。そりゃ負けたけど。あんまり悔しがってた んで、今度は電報を配達して廻る自転車との競争を持ちかけたんだ。 相手の男、仰天してたな。楽しそうだったよ、君の祖父さんも。 悪さばっかりしてた訳じゃないよ。駄賃を弾んで、一足伸ばして河原の 方へ出向いてもらったこともあった。今でも一面に植わっている だろう、桜並木。あれ、あの頃からちゃんと咲いていたんだよ。小石を 避け、梶棒の均衡を取りながらゆったり歩く、彼の背中を見下ろし ながら、薄紅の花びらを髪に飾る、そんな春が大好きだった。 と、ここだ、着いたよ、ご苦労様。うるさくして済まなかったね、懐か しい顔を見たものだから口数が増えたんだ」 石の敷き詰められた稲荷参道の入り口にて人力車を止め、男は そこで降りた。古風に着物を纏った様は呉服屋の若旦那のようで、 やはり俥夫をしていたという祖父と顔見知りだったというのは冗談に しか聞こえず、俺は受け取った紙幣をぼんやり見つめた。 「心配しなくても、木の葉になんか変わりゃしないよ」 「え、そ、そんな意味じゃなくて」 慌てる俺の肩をぽん、と叩くと、男はややつり気味の目をやんわりと 細め、「君は、本当に彼によく似ているよ」と笑った。そうして、 「地元なんだからたまにはお参りにも来なよ、油揚げ持って」 と軽く手を振り、足音も立てずに、幾重にも続く赤い鳥居をくぐり抜け て帰っていく姿を、小さくなっていく背中が遠くに見えなくなるまで、 俺はじっと見送っていた。 ----   [[メイド喫茶>9-659]] ----

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