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四面楚歌
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いつも歩きなれていたはずの山道が、今日は違う道のように感じられる。
後ろで息を切らせている彼の手をひき、俺は必死で北へと向かっていた。
「この山を越えれば、逃げ延びることができる。走れ」
振り返ると、汗でびっしょり濡れた彼の青い瞳が、俺を見つめていた。
俺は、言葉の裏にある俺の感情が読まれていないか、彼の目を確認する。
彼の目はすぐに俺からはずれた。
しかし彼は俺の手を離そうとはしなかった。
無理もない。今、彼が頼れるのは俺だけだ。
俺は、生まれた時から親に山に捨てられ、土や木の皮を食べて生きてきた。
村の人たちには石を投げられ、「泥棒」と蔑まれたまま、いつか飢えて死ぬと思っていた。
何もかもを恨んでいた。彼が来るまでは。
「せんきょうし」というのが何をするのかは分からない。
ただ彼は、「俺も外国の神様の子だ」とか何とか言い、毎日美味しいものをくれた。
俺に優しくしてくれた。その綺麗な顔で微笑んでくれた。
外国の神様なんて、知らない。
誰かに救ってもらおうなんて、考えてもない。
ただ彼を自分のものにしたくなった。
「ばてれん」というのは悪いものらしい。
今朝、お上が彼を捕まえにきた時、それを知った。
存在自体許されないのは、彼も一緒らしい。
嬉しくなって、俺は彼の手をとって走り出していた。
村で、「ご神体」と言われている山は、俺の遊び場所だった。
ここには誰も来ない。誰も追ってこれない。俺達だけ。
彼は走りながら、胸の前で十字を切った。そして何かを呟いた。
"Eu me achei abandonado por todo o mundo."
カタコトの日本語ではなく、流暢な言葉で、彼がそう言った。
それは彼の国の言葉なのか何なのか分からなかったけれど、祈りのように聞こえたから、
俺は安心させるためにうなずいてみせた。
「もう少しだから」
俺の言葉に、彼がうなずいた。
足が動かなくなりそうな彼を後押しするように、後ろから遠く銃声が聞こえる。
彼の濡れた瞳は、汗だけじゃないような気がした。
気が付かないで。もう少しだから。
この山道は、俺だけの獣道だから、この先に何があるのか知っているのは俺だけ。
…怯えることなんて何もないのに。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」
今度は独り言のように彼がそう言ったから。
はっきりした呟きだった。俺はその彼の声の響きを頭で反響させていた。
意味など分からないが、いい響きだと思った。俺のことを言ってくれているのかな。
俺はまた彼の手をひいて歩きだした。
一緒に死ぬための崖は、あと少し。
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