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ありがとうを伝えるために ---- 「どうして帰ってきたんだよ」と中島様は声を震わせました。はてどうして、どうしてこんなに早くばれてしまったのか、私にも分かりません。今の私は中島様より背も高く、波打つ髪の持ち主の、一般的な青年であるはずです。かつての名残は跡形も無く消え去ってしまっているのに、再会した瞬間に、中島様は私の正体を見破ってしまわれました。 出自を述べさせていただきますと、私、元々は東京都は伊豆諸島に連なる小さな無人島、鳥島(とりしま)を出身地といたします、しがない海鳥にございます。 出会いを運命と申しますなら、それは今を去る事二ヶ月前、日差しの眩いある五月晴れの日のことでありました。長々と翼を広げ、若鳥特有の黒い背毛を陽光に照り返しながら、自由に空の散歩を楽しんでおりましたところ、助っ人外人の打ち放った8号場外ホームランが額に直撃し、私は脳天もくらくらと、駐車してあった中島様の自動車めがけてきりきり舞しながら落下したのでございます。 ピンクのくちばしに愛車の天井をぶち破られたにも関らず、また少々乱暴な言葉遣いをなさる方でありながら、中島様はたいそう親切な御仁でありました。元来環境の調査と保全、また私のように迷い込んだ者の保護をお仕事となさっておいでだったようで、そのような方に拾われましたこと、誠に僥倖でございました。 私専用の餌入れを用意してくださいましたのも中島様です。海の水で染めたような青いバケツ、可愛らしゅうございました。私専用のゲージも用意してくださいました。歩き回れるほど広い、贅沢なものでありました。中島様専用の寝袋も用意してくださいました。一時でも中島様のお姿が見えなくなると私が鳴き騒ぐので、寝食を共にできるよう苦肉の策としてご用意してくださったのですが、少々甘えすぎたかと反省しております。数多の夜を共に過していただきました。鳥の体温は人様よりも8度ほど高うございます。初夏の夜明けは冷え込むもので、お抱えになった私の体は、中島様に安らかなる眠りをもたらすに十分であったでしょうか。たまに風切り羽で脇の下や鼻の穴をくすぐったこと、まだお怒りですか。 六月も半ばを過ぎた、やはりよく晴れた日の事、それが生涯初めてのドライブでございました。天井の穴をガムテープで塞いだ車の助手席に私を乗せ、中島様はどこでお知りになったのか、火サスにでも出てくるような、波濤(はとう)も砕く崖の上へとお連れくださいました。野生に戻れぬままテレビを見ながら煎餅をかじる、そんな私の身を案じてくださったのでしょう。 荒い風を真っ向から浴び、私は細長い翼を迷うことなく広げ、海へ帰るために走り出しました。我々は羽ばたくのが苦手な鳥であるため、飛び立つには助走を必要とします。崖から伸びる長い長い道がついに途切れ、眼前に飛び込む深い青、一瞬の落下、そしてゆっくりと浮き上がっていく体に、懐かしい風の力を感じ、幾度も幾度も旋回を繰り返し、ひとつ円を描くごとに、さらに高く上昇していきました。 気が付くと中島様のお姿は既に点のようになっておりました。私の目の捉えましたるところ、中島様は随分と長いこと、腕を振っていてくださいました。おそらく私の姿を洋上に確認なさる限り、その場を立ち去られることはなかったでしょう。そういうお方でした。私は翼を傾け、鳥島へと向かう勢いを強めました。それが我らの別れであったはずです。 けれど今、私は姿を変え、人の子として中島様の前に立っています。 「中島様に受けた御恩をお返ししたく、戻って参りました」 「テレビと煎餅の味が忘れられないだけじゃねえのか」 違いますとも!と私は大仰に叫び、中島様に飛びつきました。同じ二本の腕、同じ体温、同じ言葉。ああ、またひとつ、私はあなたに感謝の気持ちをお伝えしなければならない。助けてくれてありがとう。海へ返してくれてありがとう。出会いを、人間の温かさを教えてくれて、ありがとう。伝えるために、再び私は帰ってきたのだから。 この、アホウドリめ!そう、罵倒にならない罵倒をなさりながらも苦笑なさる中島様の脇を、私は思わずくすぐり、特大の雷を落とされてしまいました。 ----  

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