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はじめまして。僕の名は森と言います。高校で国語科の教員をしている者です。 専門は現代日本語学なのですが、まあ高校でそこまで深く学ぶ分野でも ありませんから、主に古文や漢文を中心に教えています。生徒には現代文の方が 好まれますが、古文もなかなか良いものですよ。源氏物語や今昔物語。 歌集であれば万葉集、古今和歌集などにも非常に好きな作品がありますね。 そういえば、教室の席って意外と生徒の実態が反映されるものなんですが、 ご想像つきますか? 大体ね、反抗的な子とか、ちょっと冷めている子は、 やっぱり前の方とか中央の席には座りたがらないものなんです。 窓際の席は人気があるから、そこに座っている子は生徒の中で力を持ってたり、 好かれていたりします。勉強熱心な子なら前の席に来るし、何も考えない子は 別にどこの席でも文句を言いませんね。そういう子はどこの席にいても楽しく やってるんですよ。幸せなことですよね。 そうそう、少し前に面白いことがありました。 窓際の一番後ろの席に座っている生徒――仮に大木としましょうか。 彼はやはり僕らなんかに対しては少し反抗的なんですが、決して悪い子ではないんで、 周りも距離を置いたりすることはなく、子供同士では割と上手くやってるような子です。 たまにテストで良い点とったりすると、授業中はわざと嬉しくなさそうな顔を作って、 休み時間に入ってから友達に自慢したりね。ある意味子供らしくて微笑ましいですよ。 で、彼と仲が良い子が隣のクラスにいまして、その生徒は先ほど言った「何も考えない」 ってタイプの子なんです。彼は言葉どおり子供らしい子で天性の明るさを持ってるんです。 頭は良くないんですけど、愛嬌があってね。よく芸能人で「天然」とか言いますよね。 本当にあんな感じです。二人は全く違った個性を持っているけれど、気が合った んでしょうね、よく二人で話しているところを見かけました。そういう時、大木が テストを返却する時みたいな、嬉しいのを我慢してるような顔をしてるんです。 思春期ってそんなもんですかね、もう自分がどうだったかなんて思い出せない んですけど、不思議なものだなあと思って眺めていました。 その時間は僕が大木のクラスで授業をしていて、その天然の彼はグラウンドで体育の 授業を受けていました。その頃は野球だったのかな。かなり盛り上がっている様子でした。 僕の授業は万葉集をやっている頃で、額田王の歌を取り上げていたんです。額田王、 ご存知ですか? 忍ぶ恋をしていた女性です。高校生には難しいかもしれませんね。 「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる」。生徒に群読させて 机の間を歩いていると、大木が肘を付いて窓の外を眺めていました。視線を追うと、 グラウンドのバッターボックスに例の天然の子が立って、バットを高く指してました。 予告ホームランです。彼らしいなぁと思っていたら、突然彼と目が合いました。 いや、合ったように思ったんです。正確には大木のことを見たんでしょうが、すぐ 近くにいたから勘違いしてしまったんですよ。彼は大木に向かって大きく手を振って、 あげくの果てに投げキッスというんですか、あの唇に掌を当てて手を相手に差し出す 仕草をしました。授業中にふざけてますよね。でも彼がやると許されてしまうんです。  大木は何も反応しませんでした。でも教壇に戻って教室を見回してたら、あの何とも 言えない表情をしてまだ外を見ているんですね。僕ね、本当に笑っちゃいそうでした。  この歌って、忍ぶ恋をしてるというのに男の方が人目もはばからずに手を振ってきて ハラハラするっていう内容なんです。「袖を振る」っていうのがかなりストレートな 愛情表現だった時代で、作者も本当に彼を愛してるはずなんですけど、周りに人がいたら あからさまに袖を振り返すことはもちろん出来ませんよね。それを考えるとね、大木が なんというか可愛らしく見えてきましてね。この子も大変だなぁと思ったりしました。  休み時間に、天然の子がジャージ姿のまま教室に入ってきました。手にボールを 持っていて、それを大木に渡したんです。どうやら体育の備品をかっぱらってきた ようなんですね。気になって会話に耳をすましてると、特大のホームランを打ったとかで 特別にもらった、という話が聞こえてきました。ご丁寧に自分の名前もペンで書き込んで 来ていて、サインボールやるよ、なんて言ってるんです。同級生のサインボールなんて 貰っても困るだろうと思って、僕は笑いをこらえてたんですよ。大木もさすがに文句を 言うだろうと思ったら、なんと彼、ニコッと笑って受け取ったんです。  その笑い方が皮肉とか諦めとかではなく、心からの笑顔だったことに驚きました。 だって僕に対してはいつも斜に構えていたし、手を振られても無表情を装うような 子なんですよ。その子がね、なんか見てるこっちが嬉しくなってしまうような笑顔を 向けるんですから。あれが二人なりの関係なんでしょうね。  それ以来、大木のあの表情をする度に、一度だけ盗み見た笑顔を思い出すように なりました。まあ僕や他の教員が、生徒と教師として彼と関わっていく中では 決して見ることの出来ない顔なんでしょうけど、それでも彼にああやって笑える 相手がいて良かったと思うのです。
天然×ツンデレ ---- はじめまして。僕の名は森と言います。高校で国語科の教員をしている者です。 専門は現代日本語学なのですが、まあ高校でそこまで深く学ぶ分野でも ありませんから、主に古文や漢文を中心に教えています。生徒には現代文の方が 好まれますが、古文もなかなか良いものですよ。源氏物語や今昔物語。 歌集であれば万葉集、古今和歌集などにも非常に好きな作品がありますね。 そういえば、教室の席って意外と生徒の実態が反映されるものなんですが、 ご想像つきますか? 大体ね、反抗的な子とか、ちょっと冷めている子は、 やっぱり前の方とか中央の席には座りたがらないものなんです。 窓際の席は人気があるから、そこに座っている子は生徒の中で力を持ってたり、 好かれていたりします。勉強熱心な子なら前の席に来るし、何も考えない子は 別にどこの席でも文句を言いませんね。そういう子はどこの席にいても楽しく やってるんですよ。幸せなことですよね。 そうそう、少し前に面白いことがありました。 窓際の一番後ろの席に座っている生徒――仮に大木としましょうか。 彼はやはり僕らなんかに対しては少し反抗的なんですが、決して悪い子ではないんで、 周りも距離を置いたりすることはなく、子供同士では割と上手くやってるような子です。 たまにテストで良い点とったりすると、授業中はわざと嬉しくなさそうな顔を作って、 休み時間に入ってから友達に自慢したりね。ある意味子供らしくて微笑ましいですよ。 で、彼と仲が良い子が隣のクラスにいまして、その生徒は先ほど言った「何も考えない」 ってタイプの子なんです。彼は言葉どおり子供らしい子で天性の明るさを持ってるんです。 頭は良くないんですけど、愛嬌があってね。よく芸能人で「天然」とか言いますよね。 本当にあんな感じです。二人は全く違った個性を持っているけれど、気が合った んでしょうね、よく二人で話しているところを見かけました。そういう時、大木が テストを返却する時みたいな、嬉しいのを我慢してるような顔をしてるんです。 思春期ってそんなもんですかね、もう自分がどうだったかなんて思い出せない んですけど、不思議なものだなあと思って眺めていました。 その時間は僕が大木のクラスで授業をしていて、その天然の彼はグラウンドで体育の 授業を受けていました。その頃は野球だったのかな。かなり盛り上がっている様子でした。 僕の授業は万葉集をやっている頃で、額田王の歌を取り上げていたんです。額田王、 ご存知ですか? 忍ぶ恋をしていた女性です。高校生には難しいかもしれませんね。 「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる」。生徒に群読させて 机の間を歩いていると、大木が肘を付いて窓の外を眺めていました。視線を追うと、 グラウンドのバッターボックスに例の天然の子が立って、バットを高く指してました。 予告ホームランです。彼らしいなぁと思っていたら、突然彼と目が合いました。 いや、合ったように思ったんです。正確には大木のことを見たんでしょうが、すぐ 近くにいたから勘違いしてしまったんですよ。彼は大木に向かって大きく手を振って、 あげくの果てに投げキッスというんですか、あの唇に掌を当てて手を相手に差し出す 仕草をしました。授業中にふざけてますよね。でも彼がやると許されてしまうんです。  大木は何も反応しませんでした。でも教壇に戻って教室を見回してたら、あの何とも 言えない表情をしてまだ外を見ているんですね。僕ね、本当に笑っちゃいそうでした。  この歌って、忍ぶ恋をしてるというのに男の方が人目もはばからずに手を振ってきて ハラハラするっていう内容なんです。「袖を振る」っていうのがかなりストレートな 愛情表現だった時代で、作者も本当に彼を愛してるはずなんですけど、周りに人がいたら あからさまに袖を振り返すことはもちろん出来ませんよね。それを考えるとね、大木が なんというか可愛らしく見えてきましてね。この子も大変だなぁと思ったりしました。  休み時間に、天然の子がジャージ姿のまま教室に入ってきました。手にボールを 持っていて、それを大木に渡したんです。どうやら体育の備品をかっぱらってきた ようなんですね。気になって会話に耳をすましてると、特大のホームランを打ったとかで 特別にもらった、という話が聞こえてきました。ご丁寧に自分の名前もペンで書き込んで 来ていて、サインボールやるよ、なんて言ってるんです。同級生のサインボールなんて 貰っても困るだろうと思って、僕は笑いをこらえてたんですよ。大木もさすがに文句を 言うだろうと思ったら、なんと彼、ニコッと笑って受け取ったんです。  その笑い方が皮肉とか諦めとかではなく、心からの笑顔だったことに驚きました。 だって僕に対してはいつも斜に構えていたし、手を振られても無表情を装うような 子なんですよ。その子がね、なんか見てるこっちが嬉しくなってしまうような笑顔を 向けるんですから。あれが二人なりの関係なんでしょうね。  それ以来、大木のあの表情をする度に、一度だけ盗み見た笑顔を思い出すように なりました。まあ僕や他の教員が、生徒と教師として彼と関わっていく中では 決して見ることの出来ない顔なんでしょうけど、それでも彼にああやって笑える 相手がいて良かったと思うのです。

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