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※ちょいグロ・アンハッピーエンド注意  それはある夏の日だった。  12歳になったばかりの俺は、昼から仕事がある母に連れられ、近所の親戚筋の家に預けられていた。  母は看護婦として病院に勤めており、仕事で夜遅くなることも多かったので、今までもそういったことはよくあった。  その家には2つ年上の圭という少年がいた。  彼は物静かな性格で、休みの日でも外で遊ぶことは少なく、レコードをかけながら本を読んでいることがほとんどだった。今思うと友人も少なかったのかもしれない。  俺は彼の隣で絵を描いたり、学校の宿題をしたりして過ごした。  交わす言葉はそれほど多くはなかったが、彼は俺の存在を肯定も否定もしていなかったように思う。  昼食のそうめんを食べ終わった頃、洗い物をしている叔母に声を変えた。 「おばさん、山に行って虫を捕ってきてもいい?」 「あら、学校の宿題?」 「うん、蝶の標本を作るんだ」  俺は毎年夏休みの自由研究で昆虫の標本を作っていた。 1年生の時はセミの抜け殻、2年生の時はトンボ、3年生のときはクワガタ虫だった。 「帽子を被って行くのよ。あぁそうだ、圭も勇太くんについていってあげなさい」  もう6年生なんだから一人で行ける――そう言いたかったが、その前に彼が本から目を離さないまま、いいよと一言答えてしまった。 「日が暮れる前に帰ってくるのよ」 「行ってきます」  俺は麦わら帽子に標本セットと虫取りあみを、彼は学生帽と虫かごを手にして、裏山に向かった。  日は高く輝き、影も短かった。 「勇太は虫が好きだね」  細い山道で、俺の後ろを歩きながら彼が呟くように言う。  無口な彼が自分との距離を縮めようとしているようで、むずがゆさと同時に素直な嬉しさもわいた。 「圭ちゃんは? 虫好き?」 「虫を捕まえるよりは本を読む方が好きだな」  それはいかにも彼らしい返事だった。 「本面白い?」 「面白いよ」 「じゃあ今度貸してよ」  いつも彼が読んでいる本には挿絵がなかったけれど、これが仲良くなるチャンスだと見込んだ俺は胸を躍らせて言った。  しかし返ってきた言葉は、勇太には難しいと思う、という温度の低いものだった。  なんと言っていいのかわからず、俺は虫取りあみを振り回しながら歩いた。  あみが当たってなぎ倒された草から、むっと青臭いにおいが上がった。  日が傾く前に、数匹の蝶を捕まえることができた。  モンシロチョウ、アゲハチョウ、キアゲハ、コノメチョウ、ヒメジャノメ。  それでも充分だったのだが、岩に座り戦果を眺めていると欲が沸いた。 「もう1匹くらい捕りたいな」  クロアゲハを標本の真ん中に置いたら、きっと見栄えがいいだろう。  6匹の蝶が並ぶ標本を想像すると胸がときめいた。 「全部捕ったらどうするの」 「注射を打って、箱に入れるんだ」  標本キットを取り出し、彼のために蓋を開けた。  小さな注射器と、ごく小さな薬品ケースが2つ並んでいる。 「二つ薬があるんだね」 「赤いシールの薬で、虫を眠らせる。青いシールのは虫が腐らないようにする薬」 「眠り薬?」  彼は箱の中から赤いシールの薬品を取り出して、米粒より小さい字で書かれた説明書きを読み出した。 「違うよ勇太。これはね、虫を殺す薬だ」  何気なく言われ、俺は固まってしまった。  彼の青白い顔の中で、唇だけがへんに赤かった。  赤い唇が僅かに微笑みの形をつくっていることが恐ろしかった。 「俺もやってみてもいい?」  彼が注射器を持って薬品を吸い上げる様子を、まつげ一本動かすことができずに俺は見ていた。  親指で注射器を押し、注射針から薬品がこぼれたら、中の空気が抜けた合図だ。 「ちょっと痛いだけだからね」  彼はひどく優しい口調でそう言い、俺の腕を取った。  そして何も言えないでままでいる俺の手首を親指の腹でこすり、血管を探すような仕草をした。  彼に頬を包まれ、口付けられた瞬間、俺は弾けるように立ち上がった。 「やめろよ!」  俺は横に置いていた虫かごをつかみ、彼に投げつけた。  その衝撃で虫かごの蓋が外れ、中にいた蝶がいっせいに空に舞い上がった。  彼がゆっくりと空を見上げ、逃げていく蝶を目で追った。  俺は泣きながら一人で山を降りたが、その後彼が帰ってくることはなかった。  日没後に叔母が警察に連絡し、捜索隊も出されたが、彼を見つけることは出来なかった。  山で起きたことは誰にも話さなかった。  というより、なんと説明すればいいかわからなかったのだ。  あとから叔母に、彼が生まれつきの病気で長く生きられない体であったことを聞かされた。  だからどうといったこともないのだが、心のどこかであぁそうだったのか、と思う自分もいた。  今でも夏になると、彼のことを思い出す。  あの蝶はどこにいったのか、彼はどこに消えたのか――俺はいまだに捕らわれている。
虫で801 ---- ※ちょいグロ・アンハッピーエンド注意  それはある夏の日だった。  12歳になったばかりの俺は、昼から仕事がある母に連れられ、近所の親戚筋の家に預けられていた。  母は看護婦として病院に勤めており、仕事で夜遅くなることも多かったので、今までもそういったことはよくあった。  その家には2つ年上の圭という少年がいた。  彼は物静かな性格で、休みの日でも外で遊ぶことは少なく、レコードをかけながら本を読んでいることがほとんどだった。今思うと友人も少なかったのかもしれない。  俺は彼の隣で絵を描いたり、学校の宿題をしたりして過ごした。  交わす言葉はそれほど多くはなかったが、彼は俺の存在を肯定も否定もしていなかったように思う。  昼食のそうめんを食べ終わった頃、洗い物をしている叔母に声を変えた。 「おばさん、山に行って虫を捕ってきてもいい?」 「あら、学校の宿題?」 「うん、蝶の標本を作るんだ」  俺は毎年夏休みの自由研究で昆虫の標本を作っていた。 1年生の時はセミの抜け殻、2年生の時はトンボ、3年生のときはクワガタ虫だった。 「帽子を被って行くのよ。あぁそうだ、圭も勇太くんについていってあげなさい」  もう6年生なんだから一人で行ける――そう言いたかったが、その前に彼が本から目を離さないまま、いいよと一言答えてしまった。 「日が暮れる前に帰ってくるのよ」 「行ってきます」  俺は麦わら帽子に標本セットと虫取りあみを、彼は学生帽と虫かごを手にして、裏山に向かった。  日は高く輝き、影も短かった。 「勇太は虫が好きだね」  細い山道で、俺の後ろを歩きながら彼が呟くように言う。  無口な彼が自分との距離を縮めようとしているようで、むずがゆさと同時に素直な嬉しさもわいた。 「圭ちゃんは? 虫好き?」 「虫を捕まえるよりは本を読む方が好きだな」  それはいかにも彼らしい返事だった。 「本面白い?」 「面白いよ」 「じゃあ今度貸してよ」  いつも彼が読んでいる本には挿絵がなかったけれど、これが仲良くなるチャンスだと見込んだ俺は胸を躍らせて言った。  しかし返ってきた言葉は、勇太には難しいと思う、という温度の低いものだった。  なんと言っていいのかわからず、俺は虫取りあみを振り回しながら歩いた。  あみが当たってなぎ倒された草から、むっと青臭いにおいが上がった。  日が傾く前に、数匹の蝶を捕まえることができた。  モンシロチョウ、アゲハチョウ、キアゲハ、コノメチョウ、ヒメジャノメ。  それでも充分だったのだが、岩に座り戦果を眺めていると欲が沸いた。 「もう1匹くらい捕りたいな」  クロアゲハを標本の真ん中に置いたら、きっと見栄えがいいだろう。  6匹の蝶が並ぶ標本を想像すると胸がときめいた。 「全部捕ったらどうするの」 「注射を打って、箱に入れるんだ」  標本キットを取り出し、彼のために蓋を開けた。  小さな注射器と、ごく小さな薬品ケースが2つ並んでいる。 「二つ薬があるんだね」 「赤いシールの薬で、虫を眠らせる。青いシールのは虫が腐らないようにする薬」 「眠り薬?」  彼は箱の中から赤いシールの薬品を取り出して、米粒より小さい字で書かれた説明書きを読み出した。 「違うよ勇太。これはね、虫を殺す薬だ」  何気なく言われ、俺は固まってしまった。  彼の青白い顔の中で、唇だけがへんに赤かった。  赤い唇が僅かに微笑みの形をつくっていることが恐ろしかった。 「俺もやってみてもいい?」  彼が注射器を持って薬品を吸い上げる様子を、まつげ一本動かすことができずに俺は見ていた。  親指で注射器を押し、注射針から薬品がこぼれたら、中の空気が抜けた合図だ。 「ちょっと痛いだけだからね」  彼はひどく優しい口調でそう言い、俺の腕を取った。  そして何も言えないでままでいる俺の手首を親指の腹でこすり、血管を探すような仕草をした。  彼に頬を包まれ、口付けられた瞬間、俺は弾けるように立ち上がった。 「やめろよ!」  俺は横に置いていた虫かごをつかみ、彼に投げつけた。  その衝撃で虫かごの蓋が外れ、中にいた蝶がいっせいに空に舞い上がった。  彼がゆっくりと空を見上げ、逃げていく蝶を目で追った。  俺は泣きながら一人で山を降りたが、その後彼が帰ってくることはなかった。  日没後に叔母が警察に連絡し、捜索隊も出されたが、彼を見つけることは出来なかった。  山で起きたことは誰にも話さなかった。  というより、なんと説明すればいいかわからなかったのだ。  あとから叔母に、彼が生まれつきの病気で長く生きられない体であったことを聞かされた。  だからどうといったこともないのだが、心のどこかであぁそうだったのか、と思う自分もいた。  今でも夏になると、彼のことを思い出す。  あの蝶はどこにいったのか、彼はどこに消えたのか――俺はいまだに捕らわれている。

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