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駄菓子屋 ---- 久々に滞在した田舎は、ひどく懐かしく、そしてひどく空虚だった。 こんな季節外れに帰省したぼくが悪いのだけど、めぼしい幼なじみたちはほとんど不在で、 ぼくは誰と会うでもなく、ただ朝晩母の手料理を味わって過ごした。 それはこの町を出ていく人間がいかに多いか表している。 ぼくもその例に漏れない。 今の学校を卒業したら、そのまま東京に居着くだろう。 だってこんな空虚な町に。 ただ懐かしいだけの、今は空っぽな町に、どうして帰りたいだろうか…。 それは都会の密度に慣れた、ぼくの傲慢さかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。 車の通らない路地をとろとろと散歩するぼくを、下校途中の小学生たちが駆けっこしながら追い越して行く。 ねえ君達、知ってるかい。あそこのシャッターが降りている店、あれは昔駄菓子屋だった。 ぼくは小銭を握りしめて、近所に住む従姉妹と店の前でいつも待ち合わせしていた。 二人はまず駄菓子屋に入る。お菓子を揃えてから、軒先でその日の遊びの算段を立てた。 駄菓子屋はお婆さんが一人で営んでいた。 そしてその孫の少年がよく手伝いをしていた。 彼は確か僕より二つ年上で、従姉妹と同い年だった。 つんとした顔でぼくらから小銭を受け取ったあと、涼しい店の奥にも引っ込まず、軒先に出てきていつももじもじしていた。 そのうちに従姉妹が、仕方ないわねと彼を仲間に入れてやる。 そのじれったいやりとりを、何度も彼らは繰り返した。子どもの儀式のようなものだった。 そうしてぼくらは三人で駆けずりまわるのだった。 ぼくは、彼がどうしていつも店に居るのか知っていた。 たまにぼくが一人で店に行ったとき、いつものつんとした顔で小銭を受け取りながら、こっそりがっかりしているのを知っていた。 それでも、彼はぼくが一人の時には、がっかりしてるのを隠して、店の奥に上げてくれたりもした。 彼は成績が良かった。ぼくがランドセルを持って行くと、宿題につきあってくれた。 家でじっとしていられない、活発な従姉妹とだったら有り得ないような時間。 そして彼は真っ先にこの町からいなくなった。 彼は成績が良かった。私立の、遠い中学へ行ったのだと聞いた。 それから、いつ駄菓子屋が店じまいしたのかも、あんなに一緒に遊んだ従姉妹がどこの街に行ったのかも、ぼくはよく憶えていない。 ただ、彼の少年らしいしなやかな背中は、はっきり思い描ける。従姉妹を見つめる彼の横顔を思い描ける。そこの小川にくるぶしまで浸かっていた、裸足の少年を…… 物思いしながら歩いていたぼくの側で、シャッターががらりと空いた。 いつのまにかぼくはあの店の側を通りすぎるところだった。 シャッターの奥から覗いた、背の高い、髭の若い男と目が合う。 うん? なんとなく、まじまじと二人は見つめ合った。 互いの名前を呼んだのは同時だった。 「な、何してんの?」 「何って…店」 「店っ?」 「俺が、またやるんだけど…店」 「な、なんで?何か知らんけど、みっちゃん、結構な大学行ったんじゃなかったの?」 「何か知らんけどって」 ぼくの大袈裟な驚きようがおかしかったのか、男は吹き出した。 「まあ、なんて言うか…やるんだよ。おばーちゃんの店」 そう言って、彼はふとぼくの背後へ視線をさまよわせた。 ぼくは彼が誰を探したのか分かってしまった。そして傷付いた。 まるで子どものように、繊細に鮮やかに。 「まだ埃っぽいけれど…上がっていけよ。お前が好きだった、あのラムネあるよ」 身を翻した彼の背中は、記憶の中の背中より何回りも大きくて、それでもぼくは小さく身震いした。 ああ、帰ってきたのだ。 誰も彼もが出ていくこの町へ、彼は帰ってきたのだ。 店に入ると甘酸っぱい匂いが鼻を刺した。 空虚だなんて、もう言えそうになかった。 ----   [[七夕>7-529]] ----
駄菓子屋 ---- 久々に滞在した田舎は、ひどく懐かしく、そしてひどく空虚だった。 こんな季節外れに帰省したぼくが悪いのだけど、めぼしい幼なじみたちはほとんど不在で、 ぼくは誰と会うでもなく、ただ朝晩母の手料理を味わって過ごした。 それはこの町を出ていく人間がいかに多いか表している。 ぼくもその例に漏れない。 今の学校を卒業したら、そのまま東京に居着くだろう。 だってこんな空虚な町に。 ただ懐かしいだけの、今は空っぽな町に、どうして帰りたいだろうか…。 それは都会の密度に慣れた、ぼくの傲慢さかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。 車の通らない路地をとろとろと散歩するぼくを、下校途中の小学生たちが駆けっこしながら追い越して行く。 ねえ君達、知ってるかい。あそこのシャッターが降りている店、あれは昔駄菓子屋だった。 ぼくは小銭を握りしめて、近所に住む従姉妹と店の前でいつも待ち合わせしていた。 二人はまず駄菓子屋に入る。お菓子を揃えてから、軒先でその日の遊びの算段を立てた。 駄菓子屋はお婆さんが一人で営んでいた。 そしてその孫の少年がよく手伝いをしていた。 彼は確か僕より二つ年上で、従姉妹と同い年だった。 つんとした顔でぼくらから小銭を受け取ったあと、涼しい店の奥にも引っ込まず、軒先に出てきていつももじもじしていた。 そのうちに従姉妹が、仕方ないわねと彼を仲間に入れてやる。 そのじれったいやりとりを、何度も彼らは繰り返した。子どもの儀式のようなものだった。 そうしてぼくらは三人で駆けずりまわるのだった。 ぼくは、彼がどうしていつも店に居るのか知っていた。 たまにぼくが一人で店に行ったとき、いつものつんとした顔で小銭を受け取りながら、こっそりがっかりしているのを知っていた。 それでも、彼はぼくが一人の時には、がっかりしてるのを隠して、店の奥に上げてくれたりもした。 彼は成績が良かった。ぼくがランドセルを持って行くと、宿題につきあってくれた。 家でじっとしていられない、活発な従姉妹とだったら有り得ないような時間。 そして彼は真っ先にこの町からいなくなった。 彼は成績が良かった。私立の、遠い中学へ行ったのだと聞いた。 それから、いつ駄菓子屋が店じまいしたのかも、あんなに一緒に遊んだ従姉妹がどこの街に行ったのかも、ぼくはよく憶えていない。 ただ、彼の少年らしいしなやかな背中は、はっきり思い描ける。従姉妹を見つめる彼の横顔を思い描ける。そこの小川にくるぶしまで浸かっていた、裸足の少年を…… 物思いしながら歩いていたぼくの側で、シャッターががらりと空いた。 いつのまにかぼくはあの店の側を通りすぎるところだった。 シャッターの奥から覗いた、背の高い、髭の若い男と目が合う。 うん? なんとなく、まじまじと二人は見つめ合った。 互いの名前を呼んだのは同時だった。 「な、何してんの?」 「何って…店」 「店っ?」 「俺が、またやるんだけど…店」 「な、なんで?何か知らんけど、みっちゃん、結構な大学行ったんじゃなかったの?」 「何か知らんけどって」 ぼくの大袈裟な驚きようがおかしかったのか、男は吹き出した。 「まあ、なんて言うか…やるんだよ。おばーちゃんの店」 そう言って、彼はふとぼくの背後へ視線をさまよわせた。 ぼくは彼が誰を探したのか分かってしまった。そして傷付いた。 まるで子どものように、繊細に鮮やかに。 「まだ埃っぽいけれど…上がっていけよ。お前が好きだった、あのラムネあるよ」 身を翻した彼の背中は、記憶の中の背中より何回りも大きくて、それでもぼくは小さく身震いした。 ああ、帰ってきたのだ。 誰も彼もが出ていくこの町へ、彼は帰ってきたのだ。 店に入ると甘酸っぱい匂いが鼻を刺した。 空虚だなんて、もう言えそうになかった。 ----   [[駄菓子屋>7-519]] ----

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