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安田講堂
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俺らの「青春」のピークは、あそこだった。そう思わないか。
放水にも負けず、機動隊に火炎瓶投げつけて、闘った日々。
家にも帰らず、閉鎖された大学に立てこもって、朝から晩まで討論していた日々。
俺らのことを「野蛮」とか「頭が悪い」というノンポリのヤツらを、反対に馬鹿にして、
自分たちだけが、日本のことを考えている、と思っていたな。
いつのまにか、周りの仲間も一人減り、二人減り、最後に安田講堂にまで行って
闘ったのは、俺らの大学では、俺とお前だけだったっけ。
なぁ、電気も水道も止められて、ガタガタ震えていた、安田講堂の夜のこと、
まだ覚えているか。
俺とお前で、ぼんやりと、くだらない話したな。どうしてだろう。朝から晩まで
討論していた内容は、もう思い出せないのに、あの時、お前と話していたことは、
全て覚えているんだ。
状況まで覚えている。割れた窓から見える星がきれいだった。澄んだ空気だった。
あの時の、お前のタバコの匂いまで、思い出せる。
毛布ごしに触れていた肩も、その暖かさも、ありありと思い出せる。
講堂に機動隊が来るまで、お前と一緒に色んなことを話した。
なのに、何で肝心なことを聞いておかなかったんだろうな。
前歯を折られ、腕を折られ、いつのまにか俺とお前は離れてしまい、いつも一緒に
いたのに、連絡先も分からず、会えなくなってしまった。
あれから30年しか経っていないのに、まさかお前の死を、新聞の片隅で見ることに
なるとは思わなかったよ。こんな再会になるとは、思ってもいなかった。早すぎる。
新聞で、今までお前が何をやってきたか、知ったよ。
お前、医療関係で、政治に関わって、国家と闘っていたんだな。
なぁ、まだお互い、闘い続けていたんだな。嬉しかったよ。
俺がそっちへ行くのは、どれぐらい先になるかは分からないけれど、今まで
会えなかった日々よりは長くならないつもりだよ。俺も、最後の瞬間まで、闘い続ける。
あの最後の解放区の放送、覚えているか。一緒に聞いたよな。
「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは
決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から
時計台放送を行う日まで、 この放送を中止します」
あの放送は、ほとんど嘘で、ちょっとだけ真実だった。
放送は、多分もう再開されないだろう。しかし闘いは、決して終わったわけじゃない。
そっちに行ったら、また話をしよう。酒を飲んで、タバコを吸おう。
あの日の星空、もう一度見よう。
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[[60円のコロッケ>5-569]]
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