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15-889 - (2009/05/31 (日) 22:22:44) のソース

パートナーに望むこと 
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「こっち持って」 
そう言って制服のポケットから差し出されたのは、一本の赤い毛糸。 
その、三十センチほどの紐の一端をこちらに向けて、諒はにこりと笑う。 
「…なんだこれ」 
夕暮れの帰り道、天下の公道。 
燃えるように赤い光の中にあってなお浮き立つ毛糸を摘み上げ、俺は不信感たっぷりに言った。 
「まぁいいじゃん。ちょっとしたお遊びだと思ってさ」 
「なんの遊びだよ」 
いいからいいから、とのらりくらりとかわされて、腑に落ちないながらも俺は渋々それを握る。 
右の掌に馴れない手触りを確かめていると、反対側の端を諒が左手で握った。 
「…なんなんだよ」 
「まーまー」 
何がまーまーだ、と苦々しく思ったけれど、一度握ってしまった毛糸は何となく離しがたくて、仕方なくそのままで歩き出す。 
二人並んで、さりげなく歩幅を合わせて、ただ黙々と交互に足を踏み出す。 
時折、つんと引かれる毛糸の感覚に、えもいわれぬもどかしさが募る。 
「…おい」 
「ん?」 
「なんなんだよこれ、マジで」 
「これ?」 
つん。 
手の中の絡まる糸が、いたずらのように軽やかな刺激を与える。 
「えーと、学業成就のおまじない?」 
「なら俺就職組だし、関係ねぇな」 
「や、違う、あのアレだ、健康法。えー、血液の流れをさ」 
「興味ねぇ」 
「…えっと」 
「諒」 
「…えーと…」 
「いい加減、怒るぞ」 
「……だって、さ」 
ごまかしのネタが切れたのか、毛糸の端を指先でくるくる遊びながら諒が小さな声で呟いた。 


「孝介、きっと嫌がるからさ」 
「は?」 
「だから」 
手、繋いで帰りたいなんて言ったってさ、と視線を斜めに外しながら諒が続けた。 
「…馬鹿言ってんなよ」 
「って言うだろ?」 
「…で?」 
そうして、ばつが悪そうに糸を掴んだ左手を、握ったり開いたり、繰り返す。 
「…直接じゃなきゃいいかなーって、さ」 
指先と指先で触れ合ってなくても、少しの距離を挟んでても、確かに繋がれていれば、それで。 
「…諒」 
いつも闊達としているはずの諒らしからぬ、曖昧で、意気地がなくて、もそもそとした、口の中で発してそのまま喉奥に呑み込まれていくような、それはごくささやかな呟きだった。 
だから俺は、思わず。 
「…キモい」 
憎まれ口を叩いてしまったりするわけで。 
「孝介ー……そりゃいくらなんでも酷くね?」 
一応女々しい自覚はあるんだからさ、と小さく肩を落として笑いながら、諒は気恥ずかしさか気まずさか、ほのかに染まる頬をかく。 
そうして、ゆっくりと、さりげなく、掴んだ糸の端を離そうとするから。 
「……おい」 
「え」 
俺はもう一端をぐいっと引いて、度胸の足りない左手を、右手で、掴んだ。 
「……そういう小細工は、嫌がられてから、しろ」 
呻くような低い声で言い置いて、右手に柔らかな熱を感じながら、再び歩き始める。 
沈みゆく日に視線を戻す途中、目の端に映った締まりのない笑顔は、茜色に染まっていた。 
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