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15-099 - (2009/03/29 (日) 15:11:00) のソース

小鳥
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妻が、友人から小鳥を譲り受けてきた。 
金糸雀という鳥で、鮮やかな黄色のうつくしい愛玩種である。 
さえずりを目当てに雄を貰ってきたのだが、これが一向に鳴く様子を見せない。 
黙々と青菜を啄ばむ他は、日がな一日空を眺めている。 
これを飼っていた猫がしきりと気にするので、鳥籠を遠ざけておくよう気をつけていたのだが、 
ある日、うっかりと籠を縁台に置いたまま家を空けてしまったことがあった。 

用事を済ませ、急いで帰宅すると、驚いたことに、縁側からさえずりが聞こえてきた。 
さらに驚いたことに、猫が鳥籠のすぐ傍に身を伏せて、さえずりに耳を傾けているのである。 
生来気性が荒く、喧嘩の絶えない暴れ猫であるから、鳥の音を解する情緒がそなわっているとも思えぬが、 
ぴんと両の耳を起こして、一心に聞き入っているように見えた。 

鳥も何を思ってか、猫が傍に居るときを選んで、うつくしいさえずりを響かせるようになった。 
我々人間も、猫の相伴にあずかる形でその声を楽しませてもらった。 
鳥は喉元の羽毛を震わせて、トゥリトゥリトゥリピチピチと、求愛するように歌う。 
あの子たちは、お互いのことが余程気に入ったのでしょうと、妻は言った。 
籠の鳥と獣が心を通わせるはずなどないが、女というのは、禽獣を擬人化したがる向きがあるものだ。 

それから三年ほど経って、猫が死んだ。その日を境に、鳥の声もぱたりと絶えた。 
貰われてきた頃のように、止まり木の上からじっと空を見ている。 
余所から猫を借りてきたらまた鳴くかも知れないと妻が言い出したので、私はそれを諌めて言った。 
「あの鳥にとっては、うちの猫が一番の知音だったのだ。余所の猫では代わりになるまい。 
 伯牙が琴の弦を絶ったように、あれも歌うことをやめてしまったのだろう」 
「まあ。まるで人間のようですね」 
妻に言われて、私は思わず苦笑した。 
知音断琴。そういった心のありようは、あるいは鳥にも通じるのかも知れない。 
金糸雀は二度と歌わないだろう。 
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[[ちいさな祈り>15-109]]
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