唇ではなく ---- 貴方の唇にくちづけしたい。 顔を見るだけで満足して帰るはずだったのに、涙に濡れる貴方を見た途端、そんな思いが抑えられなくなった。 かつては何度も重ねた唇だ。荒れてカサカサした固いこの唇が、私にとって最上の唇だった。 私は思いを込めてくちづける。 これはくちづけであってくちづけではない。重ねられているのは唇だけれども唇ではない。 私の唇はもう温度を無くし棺に納まっているはずで、目の前にいる貴方は私を見ることすら出来ない。 私の唇に貴方の固く荒れた唇は感じられず、貴方もまた私の唇を感じることは出来ない。 貴方の唇には何も残らない。 貴方に、私はなにも残せない。人並みの幸せも家庭も子供も私自身さえ。 それでも、この唇の重ならないくちづけで、私は貴方となにかを重ね合わせられるだろうか。 貴方に、なにかを残せるだろうか。 ---- [[メガネクール受け>7-339-1]] ----