【チベット証言集】 本土チベットへの電話インタビュー 2


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Radio Free Asia



■この地域だけで18人の遺体が確認されました
「ンガバ[アバ]の抗議行動では、計18の遺体が確認されました。キルティ寺だけで、15人が葬儀のため運び込まれました。近くの遊牧地帯で、さらに3人の遺体が確認されました。ンガバには他にも多くの僧院がありますから、他の僧院にも遺体が運び込まれているのでしょう。だから、この地域だけで18人が確認されたということです。彼らはあえて中国の病院に行くことをせず、自宅で治療を受けました」
(チベット人目撃者の証言)

■家宅捜索で無実の6人が連れ去られました
「ラサでは、中国人警官が人民武装警察を伴ってチベット人の家々を捜索しています。居留許可証の提示を求め、もし持っていない者がいれば、何の説明もなしに連行されます。許可証を持っているチベット人でさえ、何かの理由で疑われると連行されてしまいます。

例えば、3月15日の夜10時頃、武装警察を伴った警官たちがチベット人の家々の捜索を始めました。カム地方ツァワ・パシュ出身の家が捜索されました。ケルサン・ギャルツェンには2人の息子ロチュ、チャンパと、娘がひとりいました。娘は居留許可証を持っていましたが、他の家族は申請中で、まだ発給されていない状態でした。すると、中国人警官は父と息子2人を逮捕して連れ去りました。娘さんには、彼らがどこに連れて行かれたのかわかりません。警官は家の中を捜索し、現金1万元を発見しました。一家は小さな商店を営んでいたからなのですが、警官は彼らの言うことに耳を貸さず、その金を持ち去りました。娘さんはお金もなく、ひとりきりで残され、父と兄弟がどこで捕らえられているかもわかりません。彼女は父と兄弟の安否を心配し、憂いています。

同じ区画の中に、カム地方デルゲ出身の家族が住んでいました。父の名はツォニ。彼にもまた2人の息子がいます。同じ夜、家宅捜索を受け、彼らも逮捕されました。

6人はいずれも無実であり、抗議行動には参加していないそうです。中国は政策として、男だろうが女だろうが、チベット人の若者のほとんどを捕まえようとしているのです。彼らがどこに連れていかれたのかは、誰にもわかりません。外出しようとすれば、逮捕されてしまうでしょう。殺されてしまったのか、拘束されているのか、あるいは暴行を受けているのか。生きているか死んでいるかさえもわからず、見つけ出す術もないのです。ラサは事実上の恐怖政治の中にあります。」
(ラサの親戚に電話をかけた、カナダ在住のジャンペル)

■リーダーは射殺されました
「3月18日午後2時5分頃、四川省のカンゼで抗議行動が起こりました。僧侶も俗人も参加していました。ペマ・デチェンとンゴガという2人に率いられた参加者たちは『ダライ・ラマ万歳』『チベットに自由を』と叫び、ビラを配りました。数百人の武装警官が動員され、デモ隊を制止しました。デモ隊が抗議行動を続けたため、当局は10人を逮捕しました。捕まったのは、ペマ・デチェン、ゴンポ、ツェテン・プンツォク、ロブサン、サンポ、パルデン、ゴンポなどです。リーダーのひとりンゴガは射殺されました。他の9人は引きずられていきました。ケガを負っているように見えましたが、はっきりとはわかりません。今、カンゼ中が警官と兵士だらけです。チベット人は誰ひとり外出して、町を歩くことはできません」
(四川省カンゼのチベット人)

■僧侶のひとりが射殺されました
「タルギェ寺の僧侶200人以上が抗議行動にやって来ました。しかし、中国人スパイが当局に通報しました。デモ隊がカンゼの旧市街へと行進していると、警官隊が立ちはだかりました。僧侶が抗議すると、僧侶のひとりが射殺されました」
(四川省カンゼのチベット人)

■学校で抗議のスローガンを叫びました
「昨日と一昨日、私たちの学校[陝西省咸陽のチベット民族学院]の学生たちは、抗議のスローガンをたくさん叫びました。学生寮は7階建てですが、スローガンのほとんどは3〜7階から聞こえてきました。学生たちは屋上から魔法瓶などを放り投げました。この学校には約1,000人のチベット人学生がいます。今日は学校当局が全学生を大きな集会に招集し、事件に関わった者は告白文を提出せよと告げました。そして、党員は資格を失うことになると警告しました。今のところ学校には警官の姿はありません。しかし、この事件はすべて省の政府に報告され、あらゆる必要な措置が講じられると、集会で告げられました。」
(陝西省咸陽のチベット民族学院の学生の証言)

■警官が遺体を持ち去りました
「以前、射殺された男性の話をしました。昨日、その家族が葬儀のため遺体を運ぼうとしたところ、警官が家にやって来て、遺体を持ち去りました。解剖して調査するため、すべての遺体を持ち去っているのだと警官は言いました。そして、騒乱の遺体はまとめて火葬にする。火葬の前に家族には連絡があり、火葬後、火葬場を訪ねることが許可されるのだと。こうして家族に有無も言わさず、遺体は強引に運び去られました」
(ラサのチベット人による証言)

■戒厳状態です
「ラサは全体に戒厳状態です。最近の破壊の跡を片付ける作業があちこちで進んでいます。市内では、市の身分証を持っていれば移動はできます。しかし、巡礼や旅行などで外から来た者は中に入れませんし、すでにいる者は出られません。私は巡礼に来ましたが、最後の4日間は旅行も外出もできず、宿にこもっていました」(ラサのチベット人による証言)

■デモ隊の先頭では少女がダライ・ラマの写真を掲げていました
「3月18日、リタンでは300人以上のチベット人が抗議行動をしました。デモ隊の先頭では、[アッパ・ブモという]少女がダライ・ラマの写真とカタを掲げていました。彼女は中国の治安要員に逮捕されました。この地域には大規模な中国の軍隊が駐留し、さまざまな規制が敷かれました。ニュースメディアはすべて遮断されています。学校もオフィスも商店も閉まっています」
(リタンのチベット人による証言)

■以下は3月17日(月曜日)のチベット人と中国人による証言

■武装警官が通行人の身分証をチェックしています(3月17日)
「今日はよくなりましたから、外出できます。多くの人々が食料を買いに出て来ています。しかし、町には武装した警官が大勢立っており、通行人の身分証をチェックしています。町には警官が大勢います。現地政府は私たち外国人にラサを離れるようには言ってきません。しかし、出て行きたいなら、外事事務所が手助けしてくれるでしょう」
(ラサにいる香港人女性商人)

■北京の中央民族大学で沈黙の抗議(3月17日)
「北京の中央民族大学のチベット学部門には約2,000人の学生がいます。そのうち40人が、チベットのさまざまな所で殺されたり、傷ついたりした人々を悼むため沈黙の抗議に参加しました。警官がやって来ました。彼らは今、教室に閉じ込められています。」
(北京で抗議行動に参加したチベット人の証言)

{■病院が被害を受けました(3月17日)]
「ラサの人民医院が被害を受けました。地元のチベット人は、これはチベット人が手当を受けられないようにするための中国人の仕業だと疑っています。ラサの病院に運ばれたチベット人は今、追い返されています」
(匿名のチベット人)

■犠牲者が出ました(3月17日)
「地元の寺院の僧侶が武装警察と衝突しました。犠牲者が出ました」
(四川省ンガバのチベット人住民)

■大勢の警官がいます(3月17日)
「町中でも郊外でも騒乱が起き、町には大勢の警官がいますが、自分の身の安全が心配になるほどではありませんでした」
(四川省ンガバの中国人住民)

■旅行者は立ち去るよう命じられました(3月17日)
「旅行者はンバガ地域から立ち去るよう命じられました。到着したばかりの外国人の3グループが、すぐに立ち去るよう告げられました」
(四川省ンガバの中国人ホテル従業員)

■400〜500人の僧侶が町に現れました(3月17日)
「土曜の午後、400〜500人の僧侶が町に現れました。彼らは窓ガラスを割り、1時間足らずで去って行きました。この地域を守るため約2000人の兵士が駐留していました。」
(甘粛省と四川省の省境にある寺院の近くに住む漢族目撃者)

■甘粛省の中国人(3月17日)
「抗議行動の規模は小さいですが、まだ続いています…マチュ県とルチュ県それぞれに約1,000人の武装警察が配置されました」
(3月14日に始まった抗議行動について、中国人の証言)

■青海省の中国人(3月17日)
「チベットで暴動が起こったため、地元当局は、ここで抗議行動が起こることを防ぐため手段を講じています。私たちの県には約200人の武装警官がいました」
(青海省同仁県の中国人住民)

■青海省のホテル従業員(3月17日)
「この地域には外国人は入れません」
(青海省同仁県のホテル従業員)

■退去させられたジャーナリスト(3月17日)
「私たちは甘粛省夏河で、ホテルを見つけられませんでした。取材を終えた後、夏河を追い出されました。夏河に再び入ろうとしましたが、許されませんでした。私たちの身分証は、路上の検問で精査されました。夏河に続く唯一の道路は遮断されています。すべての車が制止され検問を受けます。乗っている人の身分証と車のナンバープレートがチェックされ、記録されました。ジャーナリストは潜り込むことはできませんでした。甘粛を離れるすべての車も、そこにいたというだけで慎重に検査されました。甘粛を離れる車の渋滞ができていました」
(英国人ジャーナリスト)

■写真を消去しています(3月17日)
「彼ら[警官]は、暴動に関するものと見なした写真をすべて消去しています。そういったものを持ち出させないつもりです」
(甘粛省の旅行ガイド)

■以下は、3月16日(日曜日)のRFAのインタビューに答えたチベット人による発言の抜粋。

■8人の遺体が到着しました(3月16日)
「たった今、キルティ寺に8人の遺体が到着しました」
(四川省ンガバのキルティ寺より)

■4人が殺されました(3月16日)
「キルティ寺の近くを行進している時、4人のチベット人が狙撃されて殺されました。少し後、さらに3人が殺されました。彼らは遠くから撃たれました。撃たれる前、抗議行動の参加者たちは交番2カ所の窓を割りました。…5,000から6,000人の参加者がいたようです…殺された後者3人の名前はツェジン、ノルブ、そしてロブサン・タシです」
(四川省ンガバのチベット人デモ参加者)

■東チベット・タウ県(3月16日)
「3月15日、カムのタウ[道孚県]で抗議行動がありました。10台の人民武装警察のトラックが突然やって来ました。カムのセルシュ寺は包囲されました。彼らは町をパトロールし、ランダムに身分証をチェックしています。情勢は非常に緊迫しています」
(四川省カム地方カンゼのチベット人の証言)

■ラサの尼寺の診療所(3月16日)
「ラサの尼寺の診療所で5人のチベット人がケガで亡くなりました。ラサのツァンクン尼僧院です。診療所にいた2人のチベット人はケガをしており、足が折れていると言っていました。身元不明のままの少年の遺体が横たわっていました。他に数人の遺体が運び込まれました。彼らの多くは親族が引き取りました」
(ラサのツァンクン尼僧院内部より)

■閉じ込められてしまいました(3月16日)
「もう2日間、家に帰ってません。そこら中に軍隊がいて、完全に閉じ込められてしまいました。外で何が起きているのか何も情報がありません」
(ラサのチベット人住民)

■家宅捜索が始まりました(3月16日)
「ラサの中国当局は、チベット人を逮捕し、ローラー作戦による家宅捜索を始めました。ダライ・ラマの写真と、暴動に関わった人物を探すため、すべてのチベット人の住居を捜索するという公式の警告が、ラサのすべてのチベット人住人に出されました。捜索と検挙を妨げようとしてはならない、そして、検挙された時、集団で集まってはならないとも警告されています。チベット自治区政府は、中国各地にいるチベット政府職員に対し、3日以内にラサに出頭するよう、すべての政府機関に命じました。彼らは鉄道を守ることを求められています。出頭し損なうと“一大事”になるでしょう」
(ラサからの証言)

■甘粛省の西北民族大学で抗議行動(3月16日)
「甘粛省蘭州の西北民族大学のチベット学部のチベット人学生たちが、学校のグランドで平和的なデモを行ないました。1,000人以上の学生が参加し、別の学部のチベット人たちも加わろうとしましたが、制止されました。彼らは、抗議行動は平和的であり、ラサなどでのチベット人への弾圧をやめるよう中国当局に促すものだと宣言しました。彼らはまた、ラサやラプラン寺、そしてチベットの外での抗議行動を起こしたチベット人への連帯の気持ちを表明しました。彼らは『私たちは輝かしい民主主義と生命のために、チベット人たちと連帯する』という横断幕を掲げていました」
(アムド地方からの証言)

■以下は、2008年3月15日(土曜日)の、RFAによるチベット人に対するインタビューの抜粋

■遺体が67あったそうです(3月15日)
「私はラサにいます。今日は発砲がありました。亡くなったり、瀕死の状態の大勢のチベット人が、チベット自治区公安の辺りに集められました。信頼できる人から聞いた話では、67の遺体があったそうです。まだ生きている者もいましたが、ほとんどは運ばれてきた時点で亡くなっていました…男性も女性もいます。私は詳しくはわかりません…でも、そこに合計67体集められたことは確かです。情報源は言えませんが、67体は私の知り合いが見たものです。

戒厳令が敷かれたと、チベット自治区幹部が公式に発表しました。たった今も、銃声が聞こえます。戦車もたくさん見かけました。チベット人を威嚇するため、時々空に向けて撃っています。カルマ・クンセル地区のような所では、今も発砲しています。チベット人はすべて呼び止められて、身分証をチェックされます。チベット人は政府職員であっても調べられますが、中国人は自由に移動できます。

逮捕されたチベット人の多くは、トゥールン方面などラサのいくつかの地域の刑務所に連れて行かれました。ペンポでも、昨夜6人の僧侶が逮捕されました。今日はデモがあり、中国人の商店が焼き討ちにあいました。

こうした規制は、少なくとも7〜8日は続くでしょう。自由に移動できなければ、食料を手に入れることができず、すでに食料不足が起こっています。今、中国当局が鎮圧にあたっていますが、こうしたことは郊外にも広がっているのがわかります。

これらのデモをどこかの組織が計画したことを示すものはありません。チベット人たちの自発的な反応であり、彼らはデモに飛び入り参加したのです。彼らは『ダライ・ラマ万歳』『チベットに独立を』と叫び、中国の国旗を燃やしました。今聞いた話では、ロカ地方のサムイェ寺でも僧侶が抗議行動を起こしているそうです」
(ラサから)

■叫び声が絶え間なく聞こえます(3月15日)
「今日、ラプランで大規模なデモがありました。11時45分に始まりました。昨日は、だいたい3,000人から4,000人いましたが、今日はどうでしょうか。『ダライ・ラマ万歳』『チベット独立』などの叫び声が絶え間なく聞こえます。彼らは地元の政府の役所まで行進し、窓ガラスを割るなどして、デモは続いています」
(アムド地方のラプラン寺より)

■東チベット・リタンでデモ(3月15日)
「3月15日、リタン地域では2つのデモがありました。朝、オトク・ニャクチュカ[拘束されたテンジン・デレク・リンポチェの故郷]出身の遊牧民たちが立ち上がり、しばらくデモをしました。リーダーらのひとりが拘束されました。そして同じ日、[投獄された遊牧民]ロンギャル・アダクと同郷の遊牧民たちもデモを行ない、しばらく叫び声を上げていたところ、僧侶が1人捕まりました。こうして、リタンでは緊張が非常に高まっています。チベット人たちはリタンの町に集まり、何かを計画しています。同時に、政府職員たちもまたチベット人たちの計画を妨げる策を練っています。やり遂げるのはきわめて難しいでしょう。カンゼ州セルシュ県では、チベット独立を呼びかけるビラが1,000枚ほどまかれました。リタンもセルシュも同じカンゼ州にあります」
(カム地方リタンより)

■100人以上のチベット人が殺されました(3月15日)
「中国当局は抗議行動に参加したチベット人を捕まえられるだけ大勢捕まえて、さまざまな刑務所に投獄しています。多くはポタラ宮の裏か、他のラサの4カ所の刑務所に拘置されています。チベット人の抗議行動参加者たちは、これらの刑務所に動物のように閉じ込められました。今朝、私たちが彼らに連絡したところ、殺された者はいませんでした。おそらく外国からの圧力のおかげでしょう。死者の正確な数を知るのは困難です。しかし、さまざまな情報から死者の数を合計すると、100人以上のチベット人が殺されました。土曜の朝も、中国当局は外出禁止令を出して、通りに出て来るチベット人は誰彼ともなく捕まえて投獄しています。現時点では、ラサに平穏や安定の兆しはありません」
(ラサより)

■彼らの多くは『ダライ・ラマ万歳』と叫んでいます(3月15日)
「今朝知り合いに連絡したところ、ボラやアムチョク、ツ、ガジャ、サンカなどの地域のチベット人の若者数百人がラプランに集まってデモをしました。その地域には数千の人民武装警察が配置されていましたが、今のところ群衆への発砲事件は起きていません。しかし、群衆に催涙弾が発射されました。私の知り合いは、その地域では略奪は見ていないそうですが、催涙ガスのため視界が悪く、事件の全体像は把握しにくいとのことです。昨日より抗議行動の参加者の数が増えたことは事実です。[ラプラン寺には]大雑把に見て3,000人はいます。さまざまな地域のチベット人が集まり、デモが大きくなっています。デモ隊は『ダライ・ラマ万歳』『パンチェン・ラマ釈放』『中国とチベットの平和的な対話を始めよ』などと叫んでいました。『チベット独立』と叫ぶ者もいました。表立って誰かがリードしているというものではなく、さまざまなグループがそれぞれのスローガンを掲げています。彼らの多くは『ダライ・ラマ万歳』と叫んでいます」
(ラサより)

■いたるところ軍隊だらけです(3月15日)
「今日はいたるところ軍隊だらけです。行ったり来りはできません。家に閉じ込められています。中国のメディアやテレビでは、チベット人10人が殺された、そして、殺した者は犯罪者であると言っています。報道によると、これらはすべて『ダライ・ラマ集団』の仕業です。今、ラサ市内は、誰も動けませんから、何事もなく平静に見えます。しかし、ラサ周辺の郊外地域では中国人とチベット人の衝突がいくつか起こっています」
(ラサより)

■これに先立ち、3月14日(金曜日)ラサの抗議行動に参加したチベット人は次のように証言している。

■武器を持たないチベット人に発砲したのです(3月15日)
「今日、チベット人たちがデモを行なった際、多くの人が殺されました。私たちチベット人には、反撃する武器はありません。ジョカン寺の前に集まった時、私たちに向けて中国人たちが発砲してきたのです。私自身、中国人が群衆めがけて発砲した際、100人以上のチベット人が殺されるのを見ました。発砲したのは中国軍なのです。そして、それはラサで起こり、私自身がその惨劇を目撃しました。殺されたチベット人の多くは若者でした。男も女もいます。…始まったのは午前10時頃でした。…老若男女、いろいろな年代のチベット人が連れ去られ投獄されました。抗議行動に参加したチベット人はラサのいたるところから来ていました。

振り返ってみると、すべての中国人の商店は破壊されていました。バルコル地域の中国人の商店で、無傷のところはひとつもないと思います。あらゆる物が路上に積み上げられて燃やされました。多くの自動車が放火され、破壊されました。今もまだ煙があがっているのが見えます。

チベット人たちは遺体をジョカン寺の前に集めて、祈りを捧げ、カタを捧げました。親族が遺体を見つけて引き取っていきました。私の家族はひとりも犠牲になりませんでしたが、私もほとんど殺されたようなものです。多くの遺体は自分のように思えました。誰であれ町中をうろうろしていると、逮捕されて殺されてしまいます。

先に言ったように、殺されたチベット人の数は100人を下らないと思います。死者たちは600万チベット人のために犠牲になったのです。私たちは武器を持たないのに、中国人が武器を持たないチベット人に発砲したことには失望させられます。

中国人は有毒ガスを放ちました。目眩がして、もうろうとさせられるガスです。そうして捕らえられ、連れ去られたのです。その地域では戦車も見ました。数は多くありませんでしたが、私たちを威嚇するために投入されたのです。今、ラサは静かですが、町にはまだ黒煙が見えます。私たちに発砲したのは、中国軍なのです」




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