「むぅ~」
 ベアトリーチェは、テーブルに突っ伏しながらうなり声を上げる。豪華なドレスに身を包みながらするその行動は、異様なギャップ感を周囲に放っていた。こんな威厳も何もない姿は、間違っても戦人の前では見せないだろう。
「どうされましたか? お嬢様?」
 そこに、悪魔の執事が音も気配もなく現れる。
「ん、ロノウェか……」
 ベアトリーチェは頭も上げず、気だるそうにロノウェが現れた方向へ目をやった。
「お嬢様、そのようなはしたない行動はお控えした方が。万が一戦人様に見つかれば、何を言われるかわかりませんよ?」
 ロノウェは、目を細めてやんわりとベアトリーチェを咎める。
「そんな事はわかっておる。しかしなぁ……」
「次の一手をどうするかをお悩みでございますか?」
「くっくっく……。よくわかったのう、ロノウェ」
 ベアトリーチェはテーブルに突っ伏したまま不敵に笑った。
「主が何に困っているのかをすぐに察知し、その悩みを解決するのもまた執事の勤めです。
第一、長年の退屈から解放された今のお嬢様が夢中になる事など、考えるまでもなくわかります」
「くっくっく。相変わらず口の減らぬ男だ」
「申し訳ございません。言葉遣いに関しては契約書に何も書かれておりませんでしたので」
「よいよい、そなたの言動は時に妾の退屈という名の病を癒す。……それよりそなた、今、主の悩みを解決するのも執事の勤めと言ったな?」
「えぇ」
「ならば、妾が今頭を悩ませている問題も当然解決できるのだな?」
「えぇ」
 当たり前のように、ロノウェは頷いた。
 それを聞いて、ベアトリーチェはがばりと体を起こす。元よりベアトリーチェは、ロノウェに無理難題を吹っかけ、気晴らしをしようとしか考えていなかった。だから、ロノウェのその返事は、全くの予想外だったのだ。
「……そ、それは本当か?」
 心底取り乱しながらベアトリーチェは言う。
「えぇ、本当ですよお嬢様。このロノウェ、戦人様を見事に屈服させる策を既に考えております。それも、次の局面ですぐに屈服させるような、切り札のような指し手です」
「次の局面で、だと……? ほぅ、なかなかの自信ではないか。今の戦人は、最初期の戦人とは全く違うぞ? あやつめ、悪魔の証明を見事に使いこなし、更には親族を疑う事も躊躇しなくなった。もはや、弱点らしいものがほとんど無い」
 ベアトリーチェは悔しそうに歯ぎしりを立てながら言った。
 前回の局面、つまりは第一の晩の論争で、追い詰められたベアトリーチェは この島には十九人以上の人間はいない という赤を早くも使い、それが逆に戦人に親族たちを疑う覚悟を持たせてしまった。これは、ベアトリーチェの焦りが生んだ、致命的なミスと言える。もはや、今の戦人は単純な赤の攻めではビクともしなくなってしまったのだ。
「いえいえお嬢様、弱点が無いというのは早とちりです。こんな寓話を知っていますか?ニンゲン達の間では、“北風と太陽”という名で親しまれている話なのですが」
「む? あぁ、あの旅人の服を脱がすというヤツか。無論、知っておるぞ。しかし、それが今の妾の悩みとどう関係がある?」
「つまりは、こういう事です……」
 そう言って、ロノウェはベアトリーチェに何やら耳打ちをする。ロノウェの話を聞いて
いる内に、ベアトリーチェの表情は徐々に邪悪な笑みへと変わっていった。
「なるほどなるほど。よく考えたなロノウェ」
 満足そうに笑みを漏らしながらベアトリーチェは言う。
「いえいえ、これも心より尊敬申し上げているお嬢様のためです。……ぷっくっく」
 言って、ロノウェも不敵に笑った。
「では、そろそろゲーム盤を進行させるかの」
 ベアトリーチェが、懐から取り出した懐中時計の竜頭を弄る。すると、ピッタリと動かなかったゲーム盤世界の時が、川の水のようにゆったり流れ始めた。
「戦人は何をしておる?」
「向こうで、何やら考え事をしております。恐らく、次の局面の対策を練っているのかと」
「くっくっく……そうかァ。しっかり頭を回転させておけよォ戦人ァ。もっとも、妾の次の指し手は、頭脳だけではどうにもならんと思うがなァ……くひゃひゃひゃひゃっ!」
「だからお嬢様、そういうのは少し品がないかと」
 気持ちよく笑うベアトリーチェに、ロノウェの咎めがやんわりと入った。



「ここから離れるって……、父さん母さんどういうこと?」
 ゲストハウスのロビー、今朝の惨劇を免れた生存者達十二名がいるその中で、譲治は言った。その表情からは、小さくない驚きの感情が垣間見られる。
「言った通りの事や、譲治」
 絵羽以外の全員の視線を浴びる中、秀吉は言った。
「いつまでもここに籠もっているのは、危険でしかない。私たちはそう判断したのよ」
 続いて、絵羽も言う。
「それはどういう意味だい、姉貴? 俺としちゃあ、この籠城状態から抜け出す方が、よっぽど危険に思えるが。わざわざ狼が放たれている森に逃げ込むようなもんだぜ?」
 留弗夫が、当然の疑問を投げかけた。
「ふん……。この中に狼がいるからに決まっているでしょう?」
 絵羽のその言葉に、周りの者たちは狼狽えた。……もっとも、それが本心からのものかは、とても疑わしかったが。
 そう、もはや誰もがその推論から目を背けられないでいるのだ。恐ろしい殺人鬼がこの十二人の中に紛れているという事に。
 皆がそんな物騒な疑心暗鬼に捕らわれているのも……今朝、何体もの惨たらしい遺体が食堂から見つかったからだ。
 事件の詳細はこうだ。
 朝の六時頃、紗音が朝から姿の見えない嘉音と郷田と源次の事を訝しみながらも、使用人の執務を優先させ、朝の見回りを行っていたところ、食堂の扉に不気味な赤黒い塗料で何かの図形が書かれているのを発見。何か嫌な予感を抱き、食堂の扉を開こうとしたが、施錠されていて開かない。そこで紗音は、意を決して自分たちのマスターキーで扉の鍵を解錠、内部へと進入した。
 入った途端、紗音は凄惨な真紅の光景を目に焼き付けられた。姿の見えなかった嘉音、郷田、源次だけでなく、金蔵、南條、夏妃の血に塗れた遺体がそこにあったのだ。それも、普通の遺体ではない。胴体から頭を切り離され、更にその頭がテーブルの上の皿に、豪華な料理と共に盛りつけられていたのだ。……まるで、金蔵達の頭も料理の一部だと主張しているかのように。
 生き残った者たちは、その理解不能な殺害現場を見て、ある者は泣き叫び、ある者は犯人への憎悪に身を包ませ、またある者はこれが夢であって欲しいと願った。
 しばらくその場は混乱を極めたが、次第に冷静さを全員が取り戻し、それと共に自分たちが現在置かれた地獄のような状況を理解する事になる。
 何せ、この六軒島は昨日からの激しい台風によって外への脱出が不可能になっており、更に電話などの連絡手段も何らかの理由で全て使用できなくなっていたのだ。これは、少なくとも台風がこの六軒島から離れるまでは、一切の外部へ繋がる手段が消滅した事を意味する。つまり、生き残った十二人は、一気に六人もの人間を惨殺した殺人鬼に怯えながら、この島で台風が過ぎるのを待たなければならなくなったのだ。
 生存者達は、広すぎる本館に留まるのを危険と判断し、いくらか面積の小さい渡来庵――つまりはゲストハウスのロビーで台風が去るまで籠城する事に決めた。その時点では、これに異論を示す者は誰もいなかった。一刻も早く、あの凄惨な現場から離れる事にしか、皆頭が回らなかったのだ。
 ……しかし、いざ落ち着きを取り戻すと、人間は余計な事を考え始めるもの。生存者達の心の中は、いつしかどす黒い疑心暗鬼で満たされていった。
 何せ、彼らが六軒島へ行く船の中には、右代宮と関わりのない怪しい人間などだれも乗っていなかった。それでいて、この台風になっても怪しい人影はまったく見つかっていない。そうなると、自動的に犯人はこの中にいるという思考へ向かってゆくことになる。
「……絵羽叔母さん、落ち着けよ。あんなひでぇ殺人をしでかす奴が、この中にいる訳ねぇだろ? 殺された人の中には、右代宮の人間が何人もいた。そんな血の繋がった家族を、ただ殺すだけならまだしも、あんな悪趣味な装飾をして死者の尊厳すら踏みにじるような外道が、……この中にいる訳がねぇっ!」
 戦人が必死に絵羽の主張を否定する。しかし、自分の言い分がいかに荒唐無稽か彼も理解しているのか、その言葉は大きく震えていた。
「血の繋がっている……? だったらそこの使用人二人は条件から外れるわね。確かに二人は怪しいわ。何せ、マスターキーを二本も持っている。あんな密室くらい、赤子の手を捻るより簡単に作れるわよねぇ?」
 言いながら、絵羽は鋭い視線を紗音、熊沢に向けた。事件当時、マスターキー二本を持っていたという事実から何も言い返せず、二人はその場で萎縮する。
「……っ! そういうつもりで言ったわけじゃねぇ。紗音ちゃんも熊沢の婆ちゃんも良い奴だ。そんな二人が、お世話になった源次さんや、同じ使用人仲間を殺せるわけがねぇ!」
 戦人は慌てて二人を弁護する。しかし、それは感情論ばかりで、論理的に彼らが犯人でない事を証明する弁にはほど遠い。疑心暗鬼に捕らわれた他の者を説得する言葉としては、あまりにも脆弱すぎた。
 その証拠に、周囲の人間の疑惑の眼差しが容赦無く二人へと注がれる。彼らは、やはり何を言い返す事も出来ず、萎縮したままその場で俯いた。
「……まぁ、良いわ。とにかく、この中に殺人犯がいるという可能性を否定できない以上、私たちはここから離れるわ。何せ、六人もの人間を一晩で殺したんだもの。複数犯の可能性も十分あるわ。籠城が仇になって、一息に全滅させられるかもしれない」
「……ここにいる誰もが犯人じゃなかった時は、その時はホンマにすまん。しかし、わしらも命が惜しいんや……」
 萎れた声で、秀吉は言った。命が惜しいという言葉を出されると、戦人はそれ以上何も言えなかった。
「ここから離れると言っても、どこへ行くおつもりかしら?」
 霧江が言う。
「遠くに行くつもりはないわ。ただこのロビーから離れたいだけだから。……そうね、ここの二階の部屋に籠もろうかしら。あそこなら扉も頑丈だし、バスもトイレもあるから」
「ロビーから何か騒ぎが聞こえたら、すぐに駆けつける。だから、おかしな事があったらすぐに大声を出してや」
 秀吉は優しい口調で言ったが、ほとんどの者はそれを信用しなかった。……どうせ、何かあっても部屋に籠もりっぱなしに決まっている。そんな新たな疑心が、この場でグルグルと渦巻いていた。
「譲治も勿論来るわよね?」
 絵羽が譲治を見て言う。
「僕は……ここに残るよ」
 躊躇しながらも、譲治は言った。
「何を言ってるの譲治……!? ここに犯人がいるかもしれないのよ!? なのに、どういうつもり!?」
 驚愕しながら絵羽は捲し立てた。
「僕は……ここにいる人たちがあんな惨い事をするだなんて、とても信じられないんだ。それに、もし殺人犯がいたとしても、そうでない人をここに残して、自分だけ逃げるなんて、……どうしてもできない」
「譲治! 自分の命が惜しくないの!? ……あなたからも何か言ってやってよ!」
 秀吉に目をやりながら絵羽は言った。
「……」
 秀吉はしばし何かを思考する。そして口を開いた。
「……譲治がそう言うなら、わしは強制せえへん。譲治も、もうえぇ大人やしな。もう親がいちいち口を出す年やない。……だがな譲治。もし何かあったら、すぐに遠くへ逃げるか、父さん達の所へくるんやぞ? えぇな?」
「……うん、ありがとう父さん」
 そう言って、譲治は秀吉へ頭を下げた。
 その後も、絵羽は何度も譲治を説得しようとしたが、遂に彼の口から絵羽の期待する言葉が出る事はなかった。
 絵羽は諦め、秀吉と二人で二階へと上がっていった。本来なら使用人である紗音達が案内をするべきだが、それを促す役である源次がいない上、生存者達からの疑惑の眼差しにすっかり意気消沈した彼らに、案内をする気力は残っていなかった。
 ……ロビーに残された者たちの中には、絵羽達の背中を憎々しく睨み付ける者もいた。しかし、絵羽達に続いてロビーから離れると言い出す者は現れなかった。それが犯人の狙いである可能性もあるし、なにより、この非常事態時に自分の立場を悪くする事に躊躇いがあったからだ。
「……あの、皆さん、お腹のほうはお空きでないですか?」
 絵羽達が二階へ行ってしばらく経った後、殺伐とした空気に満たされたロビーの中で、熊沢が恐る恐る口を開いた。
 その瞬間、いくつかの鋭い視線が熊沢に刺さる。
「ひぃ……」
 それに圧倒された熊沢は、つい小さく悲鳴を上げてしまった。
 もはや、ロビーにいるほとんどの者が使用人達を信用していなかった。食事と称して毒を盛られるのではないか。そんな疑いを持つ者も少なくないのだ。
「あぁ、そういや腹減ったなぁ。結局、朝は何も食べなかったしな」
 戦人は、そんな周囲の空気を察知し、熊沢をフォローする。彼はまだ使用人達を信じていた。
「そうね、今朝は色々ありすぎたから……。丁度、お昼も近いし、皆さんお昼ご飯にしませんか? いつまでも気を張っていたら、とても明日までもたないわ」
 霧江が時計に目をやりながら言う。時刻は、正午まで後数分といったところだった。
「熊沢さん、お一人じゃつらいでしょう? 私も手伝います」
 更に霧江は笑顔で熊沢に言った。それは、暗に熊沢が料理をするところを監視すると言っているようなものだった。……そう、戦人と違い、彼女は使用人達を信用してはいないのだ。
 だが、食事をする事は良い気分転換になる。ずっと緊張状態では精神の疲労が進み、不意の襲撃があった時かえって応戦できなくなる。だから、彼女は熊沢の申し出に乗ったに過ぎない。
「……えぇ、そうですね。お願いします」
 そう熊沢が言い、霧江と共にゲストハウスの厨房へと消えていった。使用人でない人間が付いている事に安堵したのか、熊沢を睨み付ける視線は無かった。
「あの、絵羽さまたちもお呼びした方がよろしいでしょうか? 確か、二階の部屋には食べ物は置いてなかったと思うので」
 熊沢達がいなくなった後、紗音が小さく挙手しながら提案した。
「そうだな。後になって何で私たちを呼んでくれなかったのよぉ、とか言われても困るしな。いっひっひ」
 戦人は冗談交じりに言う。その冗談が効いたのか、張り詰めたこの場の雰囲気が、ほんの少しだけ緩んだように思えた。
「はい、それではお呼びして参りますね」
 そうにこやかに言って、紗音は二階へと上がっていった。彼女の後ろ姿に疑惑の眼差しを向かせる者は、ほとんどいなかった。例え彼女が絵羽夫妻に襲いかかろうが、一対二ではさすがに厳しいと思ったのだろう。
 それから数分経った頃。誰かが階段を降りてくる音が聞こえ、ロビーの全員が視線を向ける。降りてきたのは紗音一人で、絵羽と秀吉はいくら待っても降りてくる気配がなかった。
「お、おい紗音ちゃん。二人はどうしたんだ?」
 戦人が声をかけると、紗音は浮かない顔をして口を開いた。
「は、はい……。あの、いくらお二人をお呼びをしても、中から返事がなくて……。鍵がかかっているので、大丈夫だとは思うのですが……」
 紗音の言葉を聞き、ロビー内にざわざわと声が上がり始めた。
「……ちょっと、僕見に行って来るよ」
 譲治はそう言い、階段へと向かった。
「俺も行くぜ。この非常時だ。万が一……って可能性もあるからな」
 そう言って、戦人も階段へと向かう。
 そして、この妙な事態にいてもたってもいられなくなったのか、結局その場にいた全員が二階へ様子を見に行く事になった。
「寝てるだけ、ってなら笑い話じゃ済まねぇよなぁこれは」
「うむ、人騒がせにも程がある。もしそうなら、きつくお灸を据えてやらねばならん」
 絵羽達の部屋の前で、留弗夫と蔵臼が軽口を叩いた。それはこの場を和ませるためというより、これ以上妙な事が起こらないでくれという願いに聞こえた。
「絵羽さま、秀吉さま。お食事の方はお召し上がりになられますか?」
 紗音が、コンコンとノックをしながら言う。しかし、返事はない。
「絵羽さま、秀吉さま……! いらっしゃいますか……!? どうか御返事をお願いいたします……!」
 更に紗音はノックを繰り返し、大きな声で二人を呼んだ。……しかし、中から返事らしき音は何も聞こえてこない。
「……これは、どういう事なの?」
 いつまでも続くかのような静寂に堪えきれず、楼座が声を漏らした。
「さぁな。しかし、何か異常が起こっているのは確かだぜ……」
 留弗夫が言う。
 二人が部屋から出たのなら、皆の元へ来るはずである。だが、絵羽達がこの部屋に籠もってから、二人がロビーへ降りてきた事は一度もない。
 ならば、この矛盾は何か。
 ……この場にいる者たちの頭に、二つの推論が浮かんだ。すなわち、絵羽と秀吉が犯人で、何らかの細工をしに部屋を出たか、もしくは絵羽と秀吉が新たな犠牲者となったか、だ。
「……紗音ちゃん、マスターキーでこの扉を開けてくれないかい?」
 遂に痺れを切らしたのか、譲治が紗音を見て提案する。
「……わかりました」
 紗音は言って、懐からマスターキーを取り出した。部屋の主に無断で使用人が鍵を開けるなど、普段なら絶対に許されない事だ。だが、その普段が完全に壊れている今となっては、そんな事を言っていられない。
 ガチャリという音がして、扉の施錠が解かれる。それと共に、譲治は体当たりするかのように部屋の中へ飛び込んだ。他の者たちも、譲治に続く。
「……っ! 父さんっ……!!」
 部屋に入った途端、譲治は叫んだ。後に続いた者たちも、譲治の目線の先を注目する。
 ……そこには、ベッドの上に倒れている全裸の男性の姿があった。俯せだから、誰かはわからない。だが、譲治の言葉と、倒れている男性の体格から、ほとんどの者がそれが秀吉だと気付く事ができた。
「父さん……! どうしたんだ父さん!?」
 譲治が秀吉へ近づき、その肩を揺すった。しかし、どれだけ強く揺すっても、秀吉は全く反応しない。だから、その場の全員が、最悪の可能性を想像しつつあった。
 意を決し、譲治は秀吉の首筋へ手をやる。……しばらくの無言の後、譲治は激しく泣き叫び始めた。
「どうして、父さん……。うわああぁっぁあっ……!!」
 ……譲治のその悲痛な反応から、全員が秀吉の死を認めることになった。
「これは……どういう事だ。……そうだ、姉貴は? 絵羽の姉貴はどこに消えちまったんだっ?」
 留弗夫が、混乱しながらもようやく言葉を漏らした。辺りを見回すが、この部屋に絵羽の姿は発見できない。
「バスルームは……!?」
 楼座がそう言って、部屋の隅にある扉から、バスルームへ入る。しかし、そこにも絵羽の姿は無かった。
 それにより、この場にいるほとんどの人間の頭に当然の疑惑が浮かんだ。……すなわち、絵羽が何らかの理由で秀吉を殺し、逃亡したのではないかと。
「おい、あそこ……、窓が開いてるぜ? こんな大雨だってのに」
 戦人が一つの窓へ指をさしながら言う。すると、確かにその窓は全開されていた。
 楼座はそれを確認すると共に、素早くその窓から外を覗いた。彼女は、この中で一番絵羽の事を疑っていた。もしかすれば、逃亡する絵羽の後ろ姿を発見できるかもしれない。
そんな狙いからの行動だった。
 ……しかし、楼座が見つけたのは、彼女の期待とはまるで逆の光景だった。
「……そんな」
 窓の外、いや、正確に言えばその真下を見つめて、彼女は呆然と声を漏らした。
「楼座叔母さん、どうしたんだ……?」
 戦人が楼座の隣に立ち、同じく窓の外の真下を見つめる。……そして、“それ”を見つけた。
「な、絵羽叔母さん……!?」
 戦人は驚愕のあまり、崩れた表情になった叫んだ。
 ……戦人の目線の先には、血糊で真っ赤になった岩と、その傍らで頭から血を流しながら倒れる絵羽の姿があった。秀吉と違い、衣服は着用している。しかし、絵羽の傷口からは、鮮血と共に脳のような物があふれ出ているのが二階からも見え、それは絵羽がもうこの世にいないという事を、如実に表していた……。



|