右代宮理御。
右代宮家の当主である金蔵より直々に次期当主として定められ、成人と同時に当主の座を継承することが決まっているその人物は、どこからどう見てもおおよそ欠点というものが見当たらない人物であった。
頭脳明晰、学業優秀、スポーツ万能、人望にも厚く、生徒会と部活動ではそのリーダーシップ性を遺憾なく発揮し、幼い頃から祖父である金蔵と父である蔵臼に経営学や帝王学を学び、実家は裕福な名家であるが決してそのことを鼻にかけるでもなく、容姿も端麗である。
――が、そんな理御に今、人並みながらも深刻な悩みが存在していた。
その日も理御は浴室へと向かう傍ら、ため息を漏らして視線を床に落としていた。

(……どうして私、胸が成長しないのだろう)

そう、右代宮理御の悩みはずばり、貧乳なことであった。
成長期はとうに過ぎ、自分と同年代の女性たちはそれぞれに女性らしい体つきになっているというのに自分は未だに貧乳――もとい、体つきが全体的に貧弱である。

(もともと太らない体質だけど食事だってちゃんと食べてるし、栄養だって郷田がちゃんと考えてくれてるし。体質……なのかなあ。いつのまにか朱志香の方が胸あるし……朱志香は大きい方だよね、多分…………いいなぁ)

などと妹へのコンプレックスに打ちひしがれていると、当の朱志香がこちらへ歩いてきた。
もう既に入浴した後なのだろう、タオルをくるくると振り回しながら機嫌よく歌など歌っていたりする。

「……ぺったんぺったんつるぺったん♪ よーじょ、よーじょ、つるぺたよーじょ♪ ぺったんぺったん胸ぺったん♪ つるぺたっていうなあぁぁぁ……あ、次期当主サマこれからお風呂ー?」

もし朱志香が「どっきゅんどっきゅん♪」とでも歌っていれば回避できたであろう惨劇は、こうして起こった。
疾風のごとく駆け寄った理御の八つ当たり気味の右手により、朱志香の悲痛な叫びが屋敷に響き渡ることになったのである。




「胸かー。まさか理御がそんなことで真剣に悩んでるとは思わなかったぜ」

ベッドの上であぐらをかいてクッションを抱えた朱志香が呟く。
あの後、改めて間近で妹の胸を見て、それこそ崖から叩き落されたように凹んでしまった理御を見かねたのか、朱志香が

「何だか元気ないじゃん? 何かあったなら私で良ければ相談に乗るぜ?」

と申し出て、結局それに甘えるようにして彼女の部屋へやってきてしまったのである。

「そんなことって……朱志香は、その……普通にあるからそんなことが言えるんだよ」

「って言ってもなー。別に特別いいことなんてねーぜ? 重くて肩こるし、男がじろじろ見てくるしさー。次期当主サマも気にすることねーぜ。貧乳は希少価値でステータスだってテレビでも言ってたし、全然ねーってのもある意味凄い……痛たたたっ! 嘘ですごめんなさいもう言いません暴力反対っ!」

ナチュラルにこちらの心を抉ってくる妹の尻を容赦なく抓り上げる。

「……ってゆーか、そこまで深刻になることねーって。母さんだって胸ある方なんだから理御も大きくなるって。こういうのって遺伝だろ?」

涙目で尻をさすりながら言う朱志香の言葉に、う、とたじろぐ。
――朱志香の言う『母さん』、右代宮夏妃は私の本当の母ではないわけで。
今まで育ててくれたことに変わりはないし本当の母のように今までも、きっとこれからも大切な人だけど。
でもこの場合、血は繋がってないから母さんの胸のサイズは当てにならないわけで。
ああでも九羽鳥庵のベアトリーチェも確か巨乳だったような、ええと、そうするとこの場合の遺伝子は巨乳遺伝子? でもでも遺伝子の問題で成長するんだったらさすがにもう成長しきってないとおかしい……のでは?
ぐるぐると思考の渦に沈んでしまった理御をよそに、朱志香はうーんと首を傾げて呟いた。

「あとは何だろーな、牛乳飲むとか腕立て伏せするとか……」

「牛乳……腕立て伏せ……」

一応、体育会系の部活に所属していたので、体格は貧弱だが最低限の筋肉はついている。
それでも一縷の望みにかけて、これから1日3リットルくらい牛乳飲んで500回くらい腕立て伏せするべきなのかなぁ等と理御が真剣に悩んでいると、朱志香が「そーだ」とぽんと手を打った。

「胸を大きくするには、揉んでもらうのが一番いいって聞いたぜ!」

「――え?」

もんで……もらう……ですって?

「っな、何を、朱志香――!」

ふざけるのはいい加減にしなさい、と叫びながら手を伸ばそうとして、気付く。
朱志香の顔は、真剣だ。本気と書いてマジだ。

「なんだっけな、えーと……そう、胸を揉まれる事によってなんかこう、女性ホルモン? とかが出るらしくて、それが胸の成長を促す、ってゆーか、胸の中の器官を発達させて、結果的に胸が大きくなるみてーな……あーもう、結構前に聞いた話だからよく覚えてねーぜ」

がしがしと頭をかき唇を尖らせて呟く姿は、どう見てもふざけているようには見えない。
話の内容さえ置いておけば、悩める姉を心の底から心配し、力になろうとする良き妹だ。
なので、右手はとりあえず引っ込めたままで尋ねる。

「その……仕組みはどうでもいいとして、あの……揉んで『もらう』っていうのは?」

「ん? あー、何だっけなー、そうそう、自分で揉んでも意味ねーんだってさ。一番効率よく女性ホルモンを出すためには、確か――」

朱志香がほんの少しだけ口ごもって、さすがに恥ずかしそうにクッションで口元を隠しながら呟いた。

「好きな人に揉んでもらうのが、一番いいとか……」

「っ……!」

口をぱくぱくさせながら、真っ赤な顔のまま固まってしまう理御。

「揉んでもらうって、頼んだって断られるに決まってるだろうそんなの! 絶対無理!」

かろうじて出した理御の言葉に、ばっと朱志香が顔を上げた。

「えっ!? り、理御頼むような人とかいるの? 誰だれ、どんな人だよ!?」

クッションを放り出し、目をきらきらさせながらこっちに迫ってくる朱志香を慌てて睨みつけ、

「朱志香には関係ない! もう、人をからかうのもいい加減にしなさい!」

と叫びながら黄金の右手を繰り出す。通算三度目の悲鳴が響き渡った。





入浴を終えて自室に戻り、髪を乾かした理御はふぅ、とため息をついてベッドに腰掛けた。

(全くもう、朱志香は……まあ、あの子なりに真剣に相談に乗ってくれたのだろうけど)

それで出た結論が『好きな人に胸を揉んでもらう』というのはどうなんだろう、と思うとため息しか出ない。
――そりゃ、好きな人くらいいるけど、と心の中で呟くものの、彼に向かって「胸を揉んでください」なんて言えるわけもなく。
言ったとしても多分哀れむような目で「揉めるほどねェだろ」と言われるのがせいぜいだろうと考えて、自分の想像に悲しくなりながら理御はベッドに倒れこんだ。

そっと服の上から胸に手を当てる。
少しだけ柔らかくて本当に少しだけ膨らんでいるけど、それだけだ。
男の人ってやっぱり、胸の大きい女性の方が好きなんだろうなぁと思う。きっと、彼も。
彼は自分よりもずっと大人の男性だからなおさら、こんな貧相な身体じゃ釣り合わない。

「……ウィル……」

いつもの凛とした声とは全く違う、弱々しい声が零れ出た。

――もし、私がもっと女性らしかったら。
初対面の時に性別を聞かれるようなこともなくて。
ちゃんと朱志香みたいに手にキスもしてもらえて。

ゆっくりと、理御の小さな手が動いた。
おずおずと、ささやかな膨らみを撫で擦るように上下に、それから円を描くように。

――キスだけじゃなくて、それ以上のこともしてもらえたのだろうか。

布越しにほんの少しだけ硬くなった先端を掌に感じて、ためらいがちにそこを指で擦るとじんわりとした痺れが胸全体に広がった。
細い指先がまだ僅かな迷いを見せながら、何度も何度もそこを引っ掻く。
どうしてこんなことを、恥ずかしい真似を止めなさいと叫ぶ理性は、先端をきゅと摘んだ時に頭の隅に追いやられて、代わりに下腹部にじわりと広がる熱に
理御は熱い息を漏らして目を閉じた。

「……ウィル……っ」


――自分に触れるこの手が、ウィルのものなら。


パジャマのボタンを1つ1つ外していく。
前をはだけられて露わになった胸に、直接掌が触れた。
ひんやりとした手の冷たさと、それ以外の何かにぶるりと身体が震えて、さっきよりも少しだけ指に力を込める――そう、彼は自分なんかよりもっと力があるに決まってる。
片手でささやかな膨らみを揉みしだき、もう片方の手はさ迷うにように動いた挙句シーツをぎゅっと握り締めた。
硬く勃ち上がった先端を押し潰すように指で弄り、指先で柔らかく撫でては爪をたてるようにして引っ掻く。

「……ん……っ」

乱れた呼吸を必死で押し殺しながら、それでも理御は手を止めることが出来ない。
いまや彼女の全身を甘いじんわりとした痺れが――快楽が支配していた。
それの源泉とも言える下腹の部位が特にじんじんと熱くなって、閉じたままの目の裏にじわりと生理的な涙が滲む。

「ウィル……ぁ……はぁ……っ」

とろりと自分の奥から何かが溢れ出す感覚に、耐え切れなくなったかのように理御の手がパジャマのズボンへと伸びた。
ウエストの部分をきゅっと握り――そのまま動きを止める。

「……駄目……っ……」

これ以上を拒む言葉を弱々しく呟きながら、ゆるゆると恥と快楽で赤く染まった顔でかぶりを振る理御。
右代宮家の次期当主ともあろう者が何て恥ずかしい事を、とでも言うように。
本気の拒否ではない、立場を建前にしたただの弱腰。そんなつまらない言い訳が探偵である彼に通じるわけがないのに。
きっとお得意の台詞であっさりと封じ込められてしまうのだ。

『深く考えるな、頭痛がすらァ』

彼の低い声。それが耳元で囁かれることを想像しただけでどくんと心臓が震える。

「……はい……」

熱に浮かされたような声で返事をした。
相棒は探偵に従うものだから。
それ以上は深く考えない。考える必要もない。
微かに震える手がゆっくりとズボンを膝下までずり下ろした。

「ふ……ぁ」

下着越しに触れたそこは酷く熱くて、そうっとなぞると濡れた布が貼りつく感覚と同時に胸よりもはっきりとした快楽が走って、理御の唇から甘い声が零れる。
そのまま何度も何度も指を往復させた。

「あ……っ、っん……は……」

熱い。酷く熱い。このままとろけてしまいそう。
身体のずっと奥から湧き上がってくる熱に突き動かされ、ぼんやりとした頭で何も考えないまま湧き上がってくる快感に素直に理御は手を動かし続けた。
布の上から秘所を擦り続けていた指が少しだけ膨らみかけた真珠を擦った瞬間、びくんと大きく腰が跳ねる。

「ぅあんっ!」

今までのじんわりとした甘い快感とは違う電気のような鋭い快感。
一瞬走り抜けたそれを、必死で求めた。
夢中でそこを刺激する。腰が勝手に揺らめくように動き、空いている方の手はいつのまにか胸を愛撫していた。

「あ、あぁ、は、やぁ……」

とろとろと熱く濡れた入り口が足りないと言うように震えるのが分かる。
身体の奥のもっとも深い部分が恐ろしいほどに貪欲に刺激を欲して疼く。
与えても与えても収まらない。どんなに弄っても、擦っても、まだまだ足りないと。


ああ、と呻いた。
足りない、足りるわけがない。
宇宙を生み出す最少人数は、2人なのだ。
1人きりでは、駄目なのだ。彼がいてくれなくては、彼が与えてくれるものでなければ。
――ウィル、貴方でなければ。


「――ぁ、あぁあああぁぁ……っ」

頭の中に、光が走った。
ほっそりとした体がベッドの上で跳ね上がるようにして反り返り、固く瞑ったままの瞳から一筋涙が零れる。
たった1人でシーツの海に沈んだまま、右代宮理御はその夜、産まれて始めての絶頂を迎えた。





全身が自分のものでなくなったように強張って震えていうことを聞かなくなったのはほんの数瞬で、すぐに襲い掛かってきた物凄い疲労感と戦いながら、のろのろと理御は上半身を起こした。
汗だくでパジャマが肌にはりついて気持ち悪い。べたつく下着は論外だ。着替えなければ眠れそうにない。
顔に張り付いた髪を払いのけながらベッドから降り立とうとして――未だに身体の奥にくすぶる熱に、不意に泣きそうになった。



ああ駄目だ、全然駄目だ。
こんな行為で満たされるわけなどないと分かっていたのに。
浅ましくも彼を妄想してまで手に入れたのが、一瞬の肉体のみの快楽と果てしない虚無感と自己嫌悪とは。
今日何度目かの深い深いため息をついて、両手で顔を覆った。

「ウィル……」

貴方が、好きです。
苦しくて、狂おしいほどに。
それこそこの身を魔女と変えてしまいそうなくらいに――好きなんです。
私など吊り合わないって分かっているけれど、それでも私は貴方が好きで好きで貴方じゃなければ駄目なんです。




だから、どうかお願いです、ウィル。




――わたしをあいして。

|