ゼミBBS、関係者ブログで書き込みのあった内容を、時系列でコピー&ペーストしています。 (2009/06/04~)
事件に関係なさそうなものは一部省略、改行も調整を行っています。
2009/06/04(土)の途中から
23:28 投稿者:poly6 [Re: ユウタからの資料]
>あじのひらきさん
リストアップありがとうございます!自分も歴史に弱く、なかなか五人組が思いつきません(汗
ところで、幕末月旦札についてブログ記事等を調べたところ、数字ごとにジャンル分けされているようです。
遼恒パパさんのレスにある役リストのマークも参考に分類すると、下記のようになりそうです。
---------------------------------------------------------
1 [新選組] 沖田総司 / 土方歳三 / 近藤勇 / 山南敬助
2 [ 女傑 ] 天璋院篤姫 / 和宮 / 幾松 / 楢崎龍
3 [ 薩摩 ] 西郷隆盛 / 大久保利通 / 小松帯刀 / 有馬新七
4 [ 長州 ] 高杉晋作 / 桂小五郎 / 久坂玄瑞 / 吉田稔麿
5 [ 土佐 ] 坂本龍馬 / 中岡慎太郎 / 武市瑞山 / 後藤象二郎
6 [ 人斬 ] 岡田以蔵 / 中村半次郎 / 田中新兵衛 / 河上彦斎
7 [ 学者 ] 吉田松陰 / 佐久間象山 / 大村益次郎 / 橋本左内
8 [外国人] ハリス / ロッシュ / パークス / プチャーチン
9 [ 幕臣 ] 勝海舟 / 山岡鉄舟 / 小栗忠順 / 佐々木只三郎
10 [ 藩主 ] 山内容堂 / 島津久光 / 松平春嶽 / 松平容保
J [ 老中 ] 井伊直弼 / 阿部正弘 / 堀田正睦 /
Q [ 朝廷 ] 孝明天皇 / 明治天皇 / 岩倉具視 /
K [ 将軍 ] 徳川慶喜 / 徳川家慶 / 徳川家茂 / 徳川家定
JOKER ペリー
---------------------------------------------------------
不明の2人は老中と朝廷でしょうかね?お持ちのかた、よろしくお願いします!
(分類の間違い等についてもご指摘いただければと思います。)
23:47 投稿者:森の水 [Re: ユウタからの資料]
こういう事には初めて参加するのですが、みなさんの書き込みがとても勉強になります。不謹慎ですが楽しくなってきてしまいました。
>ぐりんさん
おまとめ参考になりました!素晴らしいですね。細かいところですが後ろから5行目の「不穏」は私には「不徳」と読めました。
後ろから3行目の●は「惹」と読めるみたいですが、いかがでしょうか。
kuontuiさんや教授のレジュメを見ると、私も五人の一人は坂本龍馬だと考えます。
あじのひらきさん、私は歴群を読んでいて幕末も好きなのでお返事を。
幕末で五人組というと、新選組の美男五人衆とか長州ファイブが有名ですが、龍馬が絡まない。
龍馬絡みだと“五人”という括りはあまり思い当たりません。
龍馬と同郷の土佐に野根山二十三士という悲劇的な志士グループがあり、その中に田野七人衆というのがいて、
別の説では田野五人衆とも呼ばれているそうですが、これにも龍馬は含まれていません。
新聞には「生れも彼方此方ぢやつた」とあるので、kuontuiさんのおっしゃるように龍馬を含む超藩的な五人でしょうか?他の方はどう思われますか?
23:49 投稿者:うーさん [幕末月旦札の幕末志士53人|Re: ユウタからの資料]
>kuontuiさん、あじのひらきさん、poly6さん
お返事が遅くなってすみません。うーさんです。
八重樫だと硬いので、よかったら今後は私のことを“うーさん”と呼んでください。
2009/06/05(金)
00:46 投稿者:ぐりん [Re: ユウタからの資料]
>森の水さん
2箇所訂正させていただきました。
画像を拡大したり、縮小したり、画面に近づいたり、離れたり、いろいろ試してみたんですけど、、、語彙力のなさですね…うぅっ(-_-;)
ありがとうございました~!
00:58 投稿者:ワイジロー [Re: ユウタからの資料]
ちょっと離れてしまいますが、宇和島と繋がりのある高野長英という幕末の蘭学者が「戊戌夢物語」というものを執筆しているようです。
この夢物語は宇和島へ来る前に執筆したものですが「土之絵多津夢物語(戊辰夢物語)」となにか関係ある?
03:38 投稿者:kuontuiさん [其の国|Re: ユウタからの資料]
志を同じにするものの国=何かの新興組織か結社
そこにいろいろな藩やもしかしたら国から集まった男達
ある程度の行動力と政治力があった。
人々の信頼も厚い、、
単純に考えると亀山社中のこととも考えられる気もしますが、珍聞、、異説的なもの、歴史の表舞台にでていないものだから、
新説的な意味合いがあるとすると、この中で意外なつながりを探っていく方がいいかもしれませんね。
ひとまず、消去法でしぼりますか、、、
08:08 投稿者:ましろ [キーワードはドレ?|Re: ユウタからの資料2]
多くの方が新聞記事の情報を解析されている中で 個人的に気になっているのはこちらだったりします。
「準備手伝ってくれたお礼(一応みやげのつもり!!)」とユウタさんがメモを残しているなら
新聞記事とこちらがリンクして初めて見えて来る「何か」もあるのではないでしょうか。
注目すべきは以下かな。
----------------------------------------
「明治中後期以前の歌詞」と「現在の歌詞」の比較
↓
【新説】かごめ唄に隠された真実!
・作者について
・歌詞が変わった理由
----------------------------------------
「明治中後期以前の歌詞と現在の歌詞の比較」と「作者」「歌詞が変わった理由」
このどちらかがキーワードになる可能性もあるのではないでしょうか。ミスリードだったら、ごめんなさい(笑
ちなみに、皆様お気付きだとは思うのですが、ゼミBBSでは雑談スレッドがないので、一緒に告知しておきます。
----------------------------------------
「ズケちゃんの ズケズケいっちゃおう★」にて
記事「ユウタからの資料画像」更新
http://ameblo.jp/zuke2009/entry-10274207277.html
----------------------------------------
ゼミBBSの不具合により2点の画像が別スレッドになっちゃったので、私のブログではまとめました
09:43 投稿者:ましろ [楽しくなって来た(笑|Re: ユウタからの資料]
>森の水 ◆bFa2QwthCMさん
ようやく少し動き出して、楽しいムードになって来ましたね(笑
幕末や事件に直接関係ない話はフォーラムで雑談として展開されています。
残念な事にメンバー登録をしないと発言出来ませんが、良かったら覗いて見るか参加してみて下さいね(笑
---補足---
現在はwikiにリンクされているのでフォーラムについて触れましたが、今後の動向によってはこの発言を撤回します。
あしからず御了承下さい。
10:47 投稿者:kuontui [Re: ユウタからの資料2]
なぜか人気がないですが、この資料もポイントおおいですよね。
作者がいると言及している点
歌詞が変わった=変えられた
これは昔の歌詞では不都合だった、時の権力者の手によって、今の様な内容になったと考えられますね。
今の一般的なものは昭和初期に千葉県野田市あたりが発祥、これは唱歌になったりレコードになったりと定着させたれた感があります。
かごめ唄は文献では江戸中期以降の登場。
地方でいろいろあるみたいですが、鶴と亀が滑ったあたりは明治以前には登場せず、後ろの正面も明治末期になってからのようです。
これがある特定の思想、若しくは信仰、言論に対する弾圧の名残なのかもしれませんね。
ともかく作者がいる、歌詞が変わった理由について確信に近づいた、その先のは龍馬暗殺の核心部分があるのかもしれません。
それとこの件について、話をできる人間がいるということが読み取れます。
とすると、ユウタ君が話を聞こうとした人間が危ない気がします。
11:37 投稿者:CLUBSODA [Re: ユウタからの資料]
展開が早いので、みなさんのすごい推理を追っていくだけで手一杯です。
第2回と書いてあったので、他の号もあるかと思い、
yahooとGoogle、Exciteで「土之絵多津夢物語」「珍聞記事誌」を検索してみましたが、何もひっかかりませんでした...
12:59 投稿者:あじのひらき [Re: ユウタからの資料]
>poly6さん
おお、わかりやすい分類をして頂きありがとうございました。
リストから文字起こしする際、名前をなんて読むのかわからず四苦八苦したのは内緒(笑)
>森の水さん
教授の話によると、「例の役を作るには、何枚か足りないな」ということなので、数人はカードに入っていて、残りの数人がいないという状態なのだと思います。
ユウタさんのコピーと幕末ポーカーを結びつけたのは僕なので恐縮ですが、必ずしもこのコピーと幕末ポーカーが関係しているのかわからないのが現状ですので、
「竜馬」を含めずに広く考えたほうがいいかもしれません。
>うーさん
ありがとうございます!おかげで不明の二人がわかりました!
>ぷるぷるさん >ワイジローさん
コピーの作者(名前が潰れていますが)から追って行くという手もありますよね。
登場する歴史上の人物が多すぎて混乱してきましたが(笑)
>kuontuiさん
そうですよね。歴史の表舞台に出ていないことを考えると、意外な組み合わせも考えられるかもしれませんよね。
ただ人物が膨大すぎるので、なんらかのきっかけが欲しいところ。なんかヒントがないかどうか探してみます。
>CLUBSODAさん
ありがとうございます!僕も検索してみようと思っていましたが、なんだかんだでしないでいました(笑)
ひとつひとつのワードを調べていくのは非常に重要なことだと思います。これからもなにか気がついたことがあれば、どんどん書き込んでください!
よろしくお願いします!
13:06 投稿者:あじのひらき [Re: ユウタからの資料2]
>ましろさん >kuontuiさん
確かに、「変わった」のではなく「変えられた」というのは斬新ですね。
じゃあ誰が変えたのか、というのはかなり重要な着眼点だと思います。
ユウタさんは、どうやって談話に使える人物を見つけ出したんですかね。最初のレジュメから書き換えているところを見ると、つい最近見つけることができたのでしょうか……
13:10 投稿者:あじのひらき [Re: ユウタの写メ画像]
>ふぇにるさん
桔梗紋をたどるとなにかあるってことですかね。
izouさんの大山益次郎も桔梗紋ということは、幕末には桔梗紋を持つ人は結構多いんでしょうか?
13:14投稿者:あじのひらき [Re: ユウタが入院!]
>izouさん
鶴と亀って結構多いんですね。
「かごめ唄」で当時「つるつるつうるとすべった」という歌詞から考えると、「鶴」という名前がついたところが密集している場所という風にも考えられるのではないかと思います。
なにか心当たりはありませんか?
13:43 投稿者:LION [幕末の登場人物について]
幕末のゼミ生として参加したものの、幕末のことをよく知りません。
坂本龍馬をはじめ、どのような人物がいて、どのように時代を駆け抜けたのか、誰のどのような些細なことでも、一言でも良いので教えていただけませんか?
皆さんの愛してやまない人物で構いません。
質問が広義で申し訳ありませんが、宜しくお願いします。
13:47 投稿者:ぷるぷる [Re: ユウタからの資料]
作者なんですが、天●●五郎●で当てはまりそうなのぐぐってみました。
天麟院五郎八姫があてはまるのですが、伊達政宗の長女で時代もまったく違うのです。
かごめ歌等との関連もみてみましたがなさそうです。
誰か似た人かな。。。。
13:48 投稿者:LION [西谷教授について]
西谷教授が行方不明になって数日立ちます。
西谷教授のお孫さんの早紀さんからも事実確認の協力要請を受けていますので、ゼミ生の皆さんのご意見聞かせていただけませんか?
西谷教授の経歴、行方不明になる前後何か不振な行動、校内で不振な人物を見たとか、
西谷教授が残したクコの実や龍のキーホルダーについて等々どんな些細なことで構いません。
宜しくお願いします。
13:51 投稿者:LION [西谷教授の講座-かごめ唄]
ゼミ生の桧垣 遊太さんが以前西谷教授のかごめ唄の講座を開いたことを目にしました。
その講座の内容や、そもそも幕末のゼミにおいてなぜそのような講座を開いたのか?など何か時代背景を含めご存知の方がいればレスいただけますか?
宜しくお願いします。
14:11 投稿者:kuontui [絞り込み1|Re: ユウタからの資料]
当時の状況や、思想なども鑑みつつ、龍馬を中心に消去法でカード内の5人の仲間候補を絞ってみました、とはいえまだまだ多いですが、、あと誰が消えますか、、、
坂本龍馬 中岡慎太郎 後藤象二郎 桂小五郎 小松帯刀 山岡鉄舟 武市瑞山 岡田以蔵 高杉晋作 久坂玄瑞
吉田稔麿 大村益次郎 大久保利通 有馬新七 中村半次郎 佐久間象山
準候補
勝海舟 橋本左内 松平春嶽 山内容堂 吉田松陰 河上彦斎 西郷隆盛
15:42 投稿者:kuontui [Re: ユウタからの資料2]
>あじのひらきさん
僕も急遽アポが取れたのではないかと思っています。
なので、新説発表前の週末にいそいで岡山四国へむかった。ではその人物はどこにいるか?
岡山で会えるはずが、1日とかずれて、かねてから好きな大村益次郎ゆかりの地に足をのばして、いざ岡山で会う前後に襲われたとかんがえるとしっくりくるような、
岡山もいろは丸など縁深いですし、ただ、向こうも証拠隠滅に動いてますよね。
突破口はどこでしょう。
16:19 投稿者:izou [かごめ考|Re: ユウタが入院!]
この唄は、時代とともにだいぶ変わってきていると思います。
野田発祥とされるものが標準化さてれますが、鶴や亀や、後ろの正面や、滑ったは明治中盤以降のものだとおもわれ、
明治初期や江戸、またはそれ以前にその部分のルーツを求めるのはいささか無理があるのでしょう。
文字数にわけてみたり、御山をつなでみたりと、いろいろな説がありますが、この時間的なものは動かしにくい。
一番鳥のところをのぞけば変化前のものにちかいのではとおもいます。
つるつる つっぱいた=ずるずるっとひっぱった。
浄瑠璃「月花茲友鳥」にあります「つるつるつるつっぱいた」が変化したもので、「するすると突っ込んで入っていった」という意味もあるそうで、
土着のシャーマニズム的、地蔵憑けから来ているというのが大方正しいのではとおもいます。
ただ、土着の唄に、新しいメッセージを染み込ませる事は可能だと考えています。
一つは、禁止された、または弾圧された思想などを口伝するための手段です。
ですがこれだけでは短すぎるので、こらはそのメッゼージを解く為のキーになるなどですが
しかし歌詞が意図的に変えられたところをみると、違う可能性も否めません。
そこでもう一つ考えられるのは、賞賛、または懐かしみの対象として染み込んだ、かごめ唄であり、
それを快く思わないものが、危機を感じて歌詞を変貌させていき、様々な説を流布し、曖昧の宇宙に葬ったと考えられるかもしれません。
17:18 投稿者:izou [桔梗紋|Re: ユウタの写メ画像]
蠢く諸説の中の一つですが、桔梗紋は土岐氏の系列、有名なのが明智光秀です。
彼はいろいろと謎の多い天海という僧侶ではないかという説もあり、東照宮を創った天海とかごめ唄を巡る説は有名です。
東照宮の柱や鶴と亀、しかし、鶴亀のくだりは、明治以降とするほうが自然なので、少々難があります。
時代が変わる時には桔梗紋が現れると言われるいるようです。
そして、この桔梗紋をもつ坂本龍馬のルーツも明智家ではないかという説もあります。
そして、龍馬暗殺の実行犯である京都見廻組の関係実力者に織田信長の子孫である織田泉之というものがいて、やらせたという説があります。末代までの仇敵ということです。
さらに展開すれば、桔梗紋は五芒星を表すともいわれています。有名なところだと、安倍晴明です。
一筆でかけるので、魔がはいれない=魔除けと言う意味があるそうです。
龍馬はさらに組み合わせ角に桔梗、組み合わせ角は九字紋に通じ、六芒星ともいわれ、呪術と魔除けの複合
正確には三子持亀甲瓜花という家紋に通じます。
とだんだん怪しい説への道が派生するため諸説あるわけです。
桔梗紋、幕末の志士では他に山岡鉄舟がいます。ただ彼は山岡家の婿養子です。父は小野朝右衛門高福。
すこし関連が気になる、かごめ唄とも造詣が深そうな、日本民俗学の父、柳田國男も桔梗紋です。
17:59 投稿者:あじのひらき [Re: 幕末の登場人物について]
>LIONさん
ありがとうございます。このようなトピを渇望しておりました(笑)
幕末に疎い人にとって、人物紹介は欠かせません。このトピによって人物像が把握できるようになれば、捜査もより進展しやすいのではないかと思います!
というわけで、坂本竜馬について紹介したいと思います(ほぼwikiからのコピペですが……)
もし間違いなどがございましたら、詳しい方々、ご指摘のほどよろしくお願い致します。
とりあえず、こんな感じでどうでしょうか。
-----
坂本 竜馬(さかもと りょうま) 1836年1月3日~1867年12月10日(天保6年11月15日~慶応3年11月15日)(31歳没)
幕末の日本の政治家・実業家。土佐藩(現在の高知県)を脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成や、薩長連合の斡旋、
大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動した人物。
関連用語:
・亀山社中(かめやましゃちゅう)
坂本竜馬によって1865年長崎に結成された浪士結社・貿易結社・商社で、海援隊の前身。
・海援隊(かいえんたい)
1867年、土佐藩に脱藩したことを許された坂本竜馬が、土佐藩の外郭機関として亀山社中を改称した組織。貿易結社。
・薩長同盟(さっちょうどうめい)
1866年、坂本竜馬や中岡慎太郎の斡旋により、長州と薩摩が倒幕運動に協力することを約束した同盟のこと。
・船中八策(せんちゅうはっさく)
1867年に大政奉還論を進言するために、後藤象二郎と共に策定されたと言われているもの。
・大政奉還(たいせいほうかん)
1867年、第15代将軍徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)が、統治権を明治天皇に返上した出来事。
・近江屋事件(おうみやじけん)
1867年、坂本竜馬と中岡慎太郎が京都河原町近江屋井口新助邸において暗殺されたとされる事件のこと。
関連人物:
・千葉 定吉(ちば さだきち)
坂本竜馬が入門した千葉道場の運営者
・佐久間 象山(さくま しょうざん)
坂本竜馬が通った私塾の運営者
・武市 瑞山(たけち ずいざん)
坂本竜馬が加入した「土佐勤王党」のリーダー
・勝 海舟(かつ かいしゅう)
坂本竜馬の師匠
・中岡 慎太郎(なかおか しんたろう)
坂本竜馬とともに薩長同盟を推進した人
・後藤 象二郎(ごとう しょうじろう)
坂本竜馬と船中八策を策定した人
18:43 投稿者:ぐりん [Re: 西谷教授について]
香月さんのブログ内 2008/12/26「年末の恒例行事」の中に名刺整理をしたとの記述がありました。
処分された名刺の中に「警備会社」がありましたが、この警備会社の名前など覚えていらっしゃいませんか?
西谷教授のお孫さんが誘拐された事件には「マーキュリー警備保障」という会社がかかわっており、
教授、ユウタさんの事件にも関係しているのでは?と考えている方も多いと思います。
下記にマーキュリー警備保障のサイトを張っておきますので、一度ご確認いただけませんでしょうか?よろしくお願いします。
http://mercury-security.jp/
18:47 投稿者:あじのひらき [Re: ユウタからの資料]
>ワイジローさん
戊戌夢物語ってほんとにあるんですねぇ。
wikiでみたら「モリソン号事件」とリンクしていたので見てみましたが、戊戌夢物語を書いた高野長英が所属していた「尚歯会」のメインメンバーで5人上げられていました。
高野長英 小関三英 渡辺崋山 江川英龍 川路聖謨
うーむ。どうでしょう。
21:23 投稿者:りんこ [Re: 西谷教授の講座-かごめ唄]
LIONさん、はじめまして。前城綸子です。
教授は、教科書や史料に書かれていることがすべてではなく、庶民が語る歴史にも真実はある、という考えです。
まぁ、学校で教えてくれる歴史というのはあくまで概要であって、
実際には、自分のおじいちゃんやおばあちゃんから聞く昔の話だったり、
当時のまま残っている史跡を訪ねてみて、初めてわかることってありますよね?
要は、そうやって地元の方のお話を聞いたり、幕末当時から残る史跡を訪ねることでみえてくるものがある、というお話の一例として、教授はかごめ唄を取り上げたのだと思います。
ただ、アタシたちもかごめ唄にまつわる都市伝説系の話で盛り上がってしまって・・・(汗
22:08 投稿者:森の水 [Re: ユウタからの資料]
>ぐりんさん
おまとめ大変だと思いますがとても参考になります!「私にはそう読めました」と書いたつもりなのですが、採用していただけて嬉しいです♪
>ましろさん
ハイ、楽しませていただいてます♪ウィキとフォーラムへのお誘いを有難うございます。どちらもこちらのゼミに参加させていただく時から時々拝見しておりました。
正直に言いますと後者は裏方話がメインのようでちょっぴり殺伐というか私のような者には恐い雰囲気と言いますか…w。
(あくまで私的印象ですので他意はありません。お気に障ったら申し訳ありません。不適切でしたらすぐに削除します)。
せっかくお誘いをいただきましたので、いつか挑戦できたら♪
私は毎日参加できるわけではないのでこちらのBBSから、本線をゆるゆると楽しませていただこうと思っております。
>あじのひらきさん
お返事を有難うございます。名指しされると嬉しいものですね(少し緊張)。
私が「龍馬を含む五人」と考えるのは、教授のレジュメが根拠です。「かごめ唄と坂本竜馬のことを書いた新聞がある」との一文から連想しました。
『土之絵多津夢物語第2回』には五人、父母、長の連中、殿様などの代名詞的な語句があり、この新聞に龍馬のことが書かれているという前提なら、
「龍馬は“五人”の中に含まれるのでは?」と連想した次第です。まったく間違っているかもしれませんので、書くのが恐い気もありますが書かなきゃ始まらないですもんね!
22:24 投稿者:ましろ [>森の水さん|Re: ユウタからの資料]
>森の水さん
気に障るなんてとんでもないっ!フォーラムに慣れない人はどう感じているのか、個人的な意見でも「表現して下さった事がとても嬉しい」です(笑
いつ、どこから参加したとしても、私たちはこの場において、既に「同志」(笑 楽しみ方は人それぞれですが、「仲良く共闘」してゆけたらと思っています。
これからもよろしくお願いしますね(笑 あ~なんだかとっても、嬉しい気分~♪
23:12 投稿者:チョーちゃん [Re: 西谷教授の講座-かごめ唄]
オレもじーちゃんから戦国とか幕末の話を聞いて、歴史に興味持ったからわかるっス。
学校で勉強することって限られてるし、なんか覚えさせられてる感ありありで^^;
教授は昔、どっかの老人から「かごめ唄は坂本竜馬の唄だ」って聞いて、そのことが載ってる新聞があったって話でした。
ただ教授も、その場でその新聞を見たってゆーだけで、実物はなかったんすよね。
ユウタはその新聞をどっかで手に入れて、そっから調べていくうちに何かわかったんじゃないっスかね?
23:18 投稿者:楽太郎 [西郷隆盛|Re: 幕末の登場人物について]
ゼミ生の楽太郎です。事歴に絞ってざっくりまとめました。
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西郷 隆盛(さいごう たかもり) 文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)
薩摩藩(鹿児島)の志士、政治家、軍人。
主な事歴:
・薩摩藩の下級武士の生まれだが、開明的藩主だった島津斉彬に見出されて以来、江戸や京都で政治工作を担い、
斉彬の死後も活躍を続けて明治維新の立役者の一人となった。
・島流しされた。井伊直弼の安政の大獄で睨まれたり、斉彬の死後に実質的藩主になった島津久光と折り合いが悪く、
徳之島などに流された。ちなみに親友の大久保利通は久光派で、西郷嫌いの久光との仲を大久保が取り持ったといわれている。
・薩長同盟を結んで反徳川幕府勢力のリーダーになった。薩摩はそれまで親徳川派だったのに対して、長州は反徳川の立場で、さらに薩摩とも折り合いが悪かった。
ところが坂本竜馬と中岡慎太郎が仲介に努力して、犬猿の仲だった薩摩と長州を同盟させた。西郷は薩摩の代表者として竜馬たちの説得を受けて、同盟に踏み切った。
・小御所会議で徳川家打倒の方針を決定。徳川慶喜が大政奉還した後、時流は「平和倒幕:徳川が政権を朝廷に返したのだから穏便に扱おう」という一派と、
「武力討幕:徳川慶喜を殺して徹底的に徳川を叩き潰す」派に分かれた。西郷は徹底した武力討幕派で、京都の小御所会議に集まった諸藩の実力者に短刀をちらつかせて、
平和倒幕派を黙らせ、強引に武力討幕に持ち込んだとされる。
※「とうばく」は平和的な方針を“倒幕”、武力的な方針を“討幕”と書き分けることも多い。
・戊辰戦争の総司令官になる。小御所会議で武力討幕が決定され、鳥羽伏見の戦いをはじめ、江戸上野、長岡、会津、箱館など足掛け2年に及ぶ戊辰戦争が起きる。
西郷は官軍(明治新政府側は“朝廷配下の正義の軍”という意味でこう名乗った)の実質的総司令官となり、戊辰戦争を指導した。
その後、明治新政府で陸軍の唯一無二のトップである元帥になる。
・西南戦争で自決。明治新政府で強大な権力を握るが、西郷は「理想としていた政府ではない」という意味のことを言い、政府に失望して辞職(異説あり)。
故郷の薩摩に帰る。この頃、四民平等政策で既得権を剥奪された元武士たちの不満が全国的に高まっていて、
薩摩でも青年を中心に明治政府の打倒!という気分が充満していた。そこへカリスマ西郷が帰郷したため、不平武士たちは西郷を担ぎ上げて西南戦争を開始。
西郷は渋々の形ながら旗印になって参戦するも敗北。薩摩に戻って城山(地名)で自決した。
ウンチク:
・巨大キ○タマ! フィラリアに起因する陰膿水腫を患っており、歩行困難、馬にも乗れないほど睾丸が肥大していたという(医学的立証もされているとか?)
・秘技アンダーファイアー! 酔うと股間の毛を燃やしてはしゃいだそうです。
(下品なネタ2連チャンですが、でも資料にそう書いてあるんだもん。西郷どん意外におちゃめ!)
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ちょっとがんばってみました! 間違いがあったら教えてください。
2009/06/06(土)
00:40 投稿者:Yoshiwara [河井継之助|Re: 幕末の登場人物について]
吉原秀治です。他のスレッドではなかなか書き込めなかったのですが、ここならどうにかできそうなので、私の好きな河井継之助を語らせていただきます。
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河井継之助(かわいつぎのすけ) 文政10年1月1日(1827年1月27日)~慶応4年8月16日(1868年10月1日)
越後長岡藩士・家老
主な事歴
・ 長岡城下の長町で生まれました。気性が荒く負けず嫌いだったようです。江戸には2回遊学しました。
蘭学や西洋砲術で有名な佐久間象山の塾や古賀謹一郎の久敬舎で学びました。
・ 長岡藩主であった牧野忠雅に大抜擢され、農政改革、灌漑工事、兵制改革など藩政改革に取り組みました。
またガトリング砲、ミニエー小銃などを購入し、近代武装による一藩武装中立を目指しました。
・ 1868年(慶応4年)1月3日 鳥羽・伏見の戦いがおこり戊辰戦争が勃発しました。
一藩武装中立の立場から、新政府軍にも東北諸藩の連合である奥羽越列藩同盟を与しない態度を貫こうとしますが、
5月2日に官軍と小千谷談判が決裂すると、列藩同盟に参加します。
・ 5月10日に長岡藩の軍事総督として新政府軍と開戦、北越戦争がはじまりました。
新政府軍に長岡城を奪われますが、奇襲して奪い返します。しかし再度攻め込まれ、戦闘中に左足に被弾。重傷を負い会津へと逃げました。
・ 逃げている途中にも傷は悪化、慶応4年8月16日に会津領塩沢村(現在の福島県只見町)にて死亡しました。享年42歳でした。
雑学:河井継之助にまつわる句
「八十里 腰抜け武士の 越す峠」
会津へと逃走する際、河井継之助が詠んだといわれる自嘲の句です。
「かわいかわい(河井)と今朝まで思い 今は愛想もつきのすけ(継之助)」
それまで散々遊郭で遊んでいた河井継之助が、戦時に備え遊郭の禁止令を施行しました。遊女がこれを揶揄して詠んだといわれる句です。
----------------------------
司馬遼太郎先生の『峠』という作品は、河井継之助が主人公の小説です。
この書き込みで河井継之助にご興味を持った方は、ぜひこの作品を読んでみてください。お勧めです。
02:35 投稿者:香月 [Re: 西谷教授について]
>LIONさん
教授の、いわゆる経歴はゼミサイトのプロフィールに譲り、それ以外の事柄を大まかにまとめます。
・若い頃から歴史に興味
・長じて幕末史、坂本竜馬を専門に
・昔から全国でフィールドワーク
・著述活動や講演も活発
・奇抜かつ大胆な仮説で史学の世界では異端児扱いされていた
・「福岡と京都の血が入っている」とおっしゃていた
・動画からの推測では、早紀さんの幼少期に一緒に過ごした?
お人柄は、ひと言でいえば「情熱の塊」です。
教授の仮説は「荒唐無稽」と酷評されることも少なからずですが、外野の声に惑わされる方ではありません。
「誤っていれば真摯に受け止めて正す。しかし誤りか否かも、研究せねばわからない」という柔軟さもありました。
不審なことで思い当たるのは、何より、研究から私が遠ざけられた気がすることです。
教授の全研究にタッチしているわけではありませんが、今回はあえて距離をおかれた感じがします。しまいには史・資料すら見せてもらえなくなりました。
そういえば! 教授が声を荒げて電話していたことが何度かありました! 内容はわかりませんが、思えばそれから落ち込まれる日が増えたかもしれない。
心配したものの、「少し体調が悪いだけだ。大丈夫」だと。
クコの実や竜のキーホルダーは見かけたことがありません。
>ぐりんさん
処分した名刺の中に、マーキュリーと書かれたものがあったかもしれません! しかし、警備会社の者が学内や我々の研究室を訪ねて来た記憶はありません。
政界、財界人からメディアまで、会談、取材、訪問者は日常的にありました。
03:53 投稿者:ta_ka_mi_ya [Re: 桧垣遊太君の足取り]
報告が遅くなってすまない。恥ずかしい話だが正直カネがヤバい。
ホテル代を浮かせるために夜はファミレスなどを渡り歩いているから、なかなかネット環境になかった。今後はどうにかしないと。
ちなみに、今夜はマクドナルドの無線LANを使っている(24時間営業はありがたいが、寝たら追い出されるかもな・・・)。
この2日間は、道端の道草さんのアドバイスに従い西予市方面にも足を延ばした。
幕末の面影が残る宇和町卯之町の町並みや、開明学校、高野長英の隠れ家(二宮敬作宅)、愛媛県歴史文化博物館などを回った。
この宇和町あたりでも、桧垣君や例の不審人物らしき者の目撃情報が得られた!
それが不可解なことに、不審人物は「桧垣君の友達」を名乗ったらしい。さらに、目撃者によれば「女性」だったというんだ!
誰か心当たりのある人がいれば教えてほしい!
>あじのひらきさん
おいおい、怖いこと言わないでくれよ。でも警告ありがとう。
現在商品は品切れのようですが、問い合わせフォームから問い合わせができるようです。
>お問い合わせ、ありがとうございます。
>下記フォームへ入力し [ 確 認 ] ボタンを押してください。
>※お問い合わせいただいた内容はHNとともに、サイト上で公開する場合がございます。
どんな内容を問い合わせするか、ちょっと話し合いが必要だと思います。
07:14 投稿者:あじのひらき [Re: ユウタからの資料]
「オンライン古書店“WITWIT”」内のQ&Aに、Fire Dharma(火吹き達磨)による書き込みがありました。
http://rare-usedbook-shop.witwit.jp/soudan.html
●『珍聞記事誌』 明治27年4月11日付 第3号●
Q:連載小説が掲載されていると思いますが、その部分の文字は読めますか? 状態を教えてください。 (ハンドルネーム:Fire Dharma)
A:『土之絵多津夢物語』という連載小説が掲載されています。文字は判読できると思いますが、新聞自体は経年劣化が激しく全体的にヤケ、シミ、判読しづらい部分があります。
Q:ありがとうございました! あとで注文させてもらいます。(ハンドルネーム:Fire Dharma)
A:Fire Dharmaさん、ご注文ありがとうございました。
最終更新:2009年07月22日 01:42