栄光への軌跡 補完所

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 [[本編]]>[[第一章]]>第五話
 *第五話
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  大きな鉄製の扉を開けると、そこにはどこまでも続く青空が広がっている。
  少し冷たい、だが緩やかに流れる風が、自分の体をするりと通り抜けてゆく。
  瞳を閉じ、深呼吸。すっきりとした空気を胸一杯に吸い込み、城崎秋人は屋上へと足を踏み入れた。
- 入学初日、一条叶と共にやってきた校舎の屋上。ベンチやパラソルテーブルが並ぶ、テラスカフェと見間違うかのようなこの場所で昼食を摂るのは、秋人の日課になっていた。
- 叶と野球部を立ち上げて二週間が経過している。部員は野球勝負の結果入部した姫島桜と、その桜が連れてきた彼のパシリ、村上武志の計四人。野球が出来る人数まではまだ足りない。
+ 入学初日、一条叶と共にやってきた校舎の屋上。ベンチやパラソルテーブルが並ぶ、テラスカフェと見間違うかのようなこの場所で昼食を摂るのは、秋人の日課になっていた。叶と野球部を立ち上げて二週間が経過している。部員は野球勝負の結果入部した姫島桜と、その桜が連れてきた彼のパシリ、村上武志の計四人。野球が出来る人数まではまだ足りない。
  昼食を終えたら勧誘に走ってみようか。
  パラソルテーブルの一つに座った秋人は一人頷き、弁当箱の蓋を開けた。
 「……」
  野菜炒めと、おにぎりが二つ。おまけにごま和え。シンプルだがそれが良い。
  まだ勉強中ではあるものの、今日の弁当は秋人の手作りであった。
  桂木家に居候の身である秋人は、せめて自分にも何か出来ないかと考え、自分だけでなく吉野や、その妹飛鳥の分の弁当を作ることにしている。
  とはいえ、「私だってアキくんにお料理作ってあげるんだもん!」と言って聞かない吉野と、一日交替のローテーションであるが。
  少しでも桂木家の役に立てているのなら良いのだが。そう考え、秋人は小さく頂きますと呟いた。
 「……」
  おにぎりの中には鮭をつめている。口いっぱいに広がる塩気が美味しかった。
  静かに、だが夢中で頬張り、秋人はおにぎりを一つ消費する。そしてその手を止めた。
 「結構、空しいものがあるな」
  広い屋上に、男一人。流れ、空へ向かう冷たい風は、秋人を哀れんでいるように思えた。
  繰り返すが、成美高校は元女子校である。そして同時に地元のお嬢様学校でもある。
  言葉が悪いが、少し勇気を出し、「一緒にランチでもどうでしょう」などと囁いてみれば、男性と触れあう機会の少ない女生徒達はまず簡単に釣れると言っても良い。
  かと言って、秋人は何も女子とベタベタ触れあいたいわけでもない。
 「……高校生らしく、友人と昼食という選択肢はないのか……」
  地味に、高校生、そして青春というものに憧れていた秋人なのであった。
 「友達とお昼が食べたいの?」
  突如横合いからかかった声に、秋人は一瞬体を強ばらせた。その姿を見てか、けらけらと楽しそうに笑う人影。
  少しむっとした顔の秋人は、すぐ隣の椅子にいつのまにか女子生徒が座っていることを知った。
  長いストレートの黒髪を、腰辺りまで伸ばしているその生徒は、間違いなく成美の制服を着ていた。薄緑色のブレザーの胸元につけられている名札に引かれたラインは赤。秋人と同じ一年生だ。
  背は低めで、薄い体型をしている。また、彼女はそれに見合うように、幼い顔立ちであった。だが長い睫毛や瑞々しい唇が、幼さとはギャップの色気を醸し出している。言うなれば、大人の階段を上り始めている。
 「……あんたは?」
 「僕は宇城恵。君は……うん、言わなくても知ってる。城崎秋人君、でしょ」
  自己紹介を始めようとした秋人を目で止め、恵はにこっと笑った。その純粋な笑顔に、秋人はどうにもくらくらする。
  思えば、あまり秋人は女性の笑顔に慣れていなかった。吉野の笑顔は小さい頃からこれでもかと言うほど見ているので目が慣れた。ちなみに妹の飛鳥は、中学に上がってから秋人に少し冷たくなっている。
 「友達が欲しいんでしょ? だったら、なろうよ。友達に」
 「あ、ああ……」
  差し出された右手。透き通るようなその手に触れて良いのか、秋人は少し逡巡した。
  だが恵は無理矢理に秋人の右手を取り、静かに握りしめる。その柔らかい感触と、手から伝わる恵の熱に、秋人の頭は熱暴走を起こしかけていた。何か言わなくちゃいけないとわかっているのに、何も言えない。
 「ふふっ……可愛いんだね、秋人」
 「かわっ……」
 「そんなところが可愛いんだよ」
  この人生で一度も言われたことのない評価に少し戸惑う。というか、可愛いという評価は自分よりもむしろ目の前で無邪気に笑うこの女生徒の方が似合うだろうと秋人は思う。
  出会って五分と経っていないのに、秋人は既に恵のペースに巻き込まれていた。
 「僕さ、見てたんだ。君たちが野球してるの」
 「知ってる、のか」
 「うん」
  知らない内に、野球部の活動を恵に見られていたという。
  何とも言えないが、恥ずかしさが込み上げてくるようだ。
 「それでね、言いたかったんだけど……」
 「なんだ?」
 「……僕も野球部に入れてくれないかな」
 「ああ、構わない。…………ん?」
  恥ずかしそうに俯いた恵の口から飛び出した言葉に秋人は頷き、そしてその意味を理解するのに数秒を要した。
  恵は、野球部に、入りたい。らしい。
 「……野球部に入ってくれるのか?」
 「うん。僕、野球はしたことないけど……、部員が足りないんでしょ? 秋人の役に立ちたいし」
 「宇城……」
  ありがとうと呟こうとしたところで、秋人は恵の背後、屋上の扉が開くのを確認した。顔を覗かせるのは秋人の幼馴染み、桂木吉野。吉野は辺りを見回し、秋人を見つけてその顔に喜色を湛えたが――。
 「アキくん?」
  秋人と手を繋ぐ恵の姿を発見し、すぐに冷たい笑みを浮かべた。
  秋人はその視線にどうにも、不倫現場を取り押さえられた夫のような気持ちを抱いてしまう。
 「吉野、これは違うぞ」
  自分で言っていて、何が違うのかがわからない。自分は何を弁明しようとしているんだ。秋人は少し情けなくなった。
 「その子は?」
 「僕、宇城恵。君も、秋人の友達?」
 「ええ……、同棲してる仲です」
  恵の自己紹介に、どうも挑戦的な目線で、誤解を招くような発言をしてみせる吉野。恵と吉野、二人の視線がぶつかり合い、同時に火花が散っているように秋人には思われた。今すぐにでも逃げ出したい気分である。
 「同棲……」
 「ええ、そうですよ」
  内心、吉野は勝ったと飛び跳ねた。何に勝ったのかは、吉野だけの秘密である。
  いい加減気づいてくれても良いじゃないかと思うのだが。
 「でも、僕ももっと秋人と深い仲になるもん」
 「むっ」
 「おい何の話を……」
  なんだか話が妙な展開に進んでいると気づいた秋人が、二人に問いかける。
 「アキくんは黙ってて。これは女と女の戦いだよ」
 「そう――女と女……じゃないよ」
 「へっ?」
  真剣な眼差しで、その瞳に闘志の炎を燃え上がらせた吉野の言葉に、恵が小さく反論した。思わず吉野は間抜けな声を出す。
  そんな反応に満足したのか、少し嬉しそうな声で恵は言葉を続けた。
 「僕、男だし」
 「ええええええっ!?」
 「……なに……」
  吉野が叫び、秋人が呆然とした顔で呟いた。
  宇城恵は、黒髪ロングストレートが映えるこの美少女は、まさかの男子生徒であったのだ。
  そのショック、いかばかりか……。
 「って待て、宇城、お前が男子だとして、その制服は何だ」
 「え、これ?」
  ひら、と恵がスカートの裾を掴んだ。成美高校では、男子生徒のスカート着用を認めてはいない。当然の話とも言えるが。
 「これね、校長が着てても良いって」
 「あのロリッ校長……」
  えへへー、とだらしなく笑う幼い校長の姿を脳裏に浮かべ、秋人は嘆息した。楽しそうだからおっけーおっけーとでも言っていそうだ。
 
 ◆
 
 「くしゅんっ」
 「お姉様、鼻水が……」
 「うぇへへ……、ゆか人気者だからぁ……みんなが噂を……くしゅんっ」
 「今拭きますから、静かにしていて下さいね……」
 「くちゅんっ」
 
 ◆
 
 「で、秋人」
 「なんだ……」
  一歩引き、秋人が答える。恵が男である以上、彼は女装趣味のある男子生徒と言うことであり、そしてそれを少しだけ可愛いと感じてしまった自分自身が少し悲しかった。
 「野球部、入れてくれるでしょ?」
 「あ、ああ……。それは構わない」
 「後。引かれると僕も少し悲しいな」
 「う……、すまん」
  しゅんと落ち込んだ顔を見せる恵に、秋人の心に罪悪感が芽生えた。
 「友達でいてくれるよね?」
 「ああ……、もちろんだ」
 「嬉しいっ」
  そう言って、恵は秋人に抱きついた。これはまさに、男だから出来る芸当とも言える。女子がいきなり男子に抱きつく事なんて出来やしない。秋人に見えないところ、吉野に見えるような位置で、恵が悪戯っぽく笑った。
 「アキくんッ!」
 「あ、な、なんだ……?」
 「私も、野球部に入るよ! マネージャーで!」
 「ほ、本当か? 吉野お前……、ソフト部に……」
 「負けてられないからね!」
  鼻息荒く語る吉野に、秋人は若干たじろぎつつも、素直に彼女の参入を喜んだ。
  かくして、野球部は着実にその人数を増やしつつあるのであった……。
 
 ◆
 
 「というわけで、宇城恵と……、マネージャー希望の桂木吉野だ」
 「よろしく~」
 「よろしくね、みんな」
  放課後、葉月以外が集まった部室で、秋人が二人を紹介する。思いがけないスピードでの新入部員参加に、叶が嬉しそうに飛び跳ねた。
 「よっしゃっ! よろしくな宇城! マネジも!」
 「ふーん……。なかなか良い感じじゃねえか」
 「え、えっと……そ、そうですね」
 「お前、とろいというかなんというか」
 「すみませ……ん」
  この二人も、たかだか三日ほどの練習では変わらないようだ。
  ちなみに練習とは、グラウンドで延々キャッチボールを続けるというものであった。
  四人という人数ではノックなぞ満足に出来やしないし、球拾いやグラウンド整備なども人数の都合上難しい。しかしその点キャッチボールは相手さえいれば簡単に行える。
  簡単とはいえ、数年のブランクを抱えた桜と初心者である村上がグラブの扱いに慣れるためにも、叶のコントロール向上、秋人の更なるキャッチング技術向上のためにも、決して馬鹿には出来ない重要な練習である。
  このおかげで、村上はキャッチボールだけなら多少は出来るようになってきた。あくまでキャッチボールだけなら、である。
  彼のポジションはレフトに決定したのだが、外野を守る以上はフライの捕球技術をどうにかして磨かねばならない。そう、課題はまだまだ多いのだ。
 「宇城に野球経験はない……んだな?」
 「うん。でも、球を捕るのは大の得意だよ」
 「ほぅ、大した自信じゃねえかよ」
  桜がニヤリと笑った。ちなみに彼は左利きとその長身を生かし、一塁を守ることになっている。
 「キャプテン、ちょいと実力を見てみるのも悪くねえと思うぜ」
 「ああ。……だがキャプテンは俺じゃなくて一条だ」
 「ええっ!? アキくんがキャプテンじゃないの!?」
 「俺がキャプテンだぞマネジ! あと桜、ふざけんな!」
 「名前で呼ぶんじゃねえっつってんだよ!」
  叶が喚き、桜もそれに便乗する。この二人は基本相容れないのかも知れない。嘆息し、秋人は二人を宥めにかかった。
 
 ◆
 
 「……宇城、とりあえずノックを」
 「オッケー任せてっ」
  秋人たちは、恵の実力を測るためにグラウンドへ出ていた。秋人が簡易バッターボックスに、その正面、15メートルほど先に恵が位置する。ファーストには桜がついていた。
  秋人の言葉に、制服姿で左手にグローブを嵌めた恵が、片目を閉じウインクする。すぐ側にいる吉野の眉が吊り上がったのは見ないことにして、秋人は小さく頷いた。
 「まずは、正面にゴロ」
  秋人は軽くバットを振り抜いた。平凡なゴロが、恵の足下へと転がる。
 「よゆーよゆーってね」
  腰を落とし、軽くキャッチ。何の問題もなく恵は桜へボールを送った。
  守備に自信があるというのだ、これくらいは当然だろう。
 「次。正面にゴロ。少し強くだ」
  先ほどより三割り増し程度の力でバットを振り抜く。鋭いゴロが恵の足下へ迫るが、これも難なく捕球。側で見ていた村上が感嘆のため息を漏らした。
  これぐらいは出来るようになってもらわなくちゃ困るんだけどな、と秋人は小さく呟いた。
  ノックはまだまだ続く。
 
 
 ◆
 
 
 「それじゃ、そろそろ終わりにするか」
 「はぁっ……、うんっ……!」
  かれこれ三十分ほど、秋人はノックを続けている。ゴロ、フライ、ライナー、バウンドボール、様々なコースに打球を送ったが、恵はそのどれもを軽快に捌いていた。なるほど、守備に関しては文句なしだ。
  だが、ここまでやられると逆に鼻を明かしてみたくなるのが人の性。秋人は恵の手足の長さから見てギリギリのコースに鋭いライナーを送って、このノックの締めにすることを決めた。
 「……次は少し厳しいぞ」
 「ばっちこい!」
 「その意気だ」
  球を軽く放り投げ、鋭く振り抜く。打球は矢のように、恵から少し離れた位置へと向かっていった。捕れるか捕れないか、本当にギリギリのコースだ。恵が秋人の真意に気づいたのか、困ったように笑い、打球の飛来するコースへ向かう。
  しかし、打球の方がわずかに早い。
 「意地悪だなぁっ……!」
  軽く舌打ちし、恵が横っ飛びした。
  その手足を限界まで伸ばす恵。長い黒髪が宙に広がり、額から流れ落ちた汗が地面に小さく染みを作る。
 「いっけぇぇぇぇっ!」
  パシッと小気味良い音が響き、白球はその姿を恵のグラブの中へと消した。
 
 
 「お疲れ」
 「ひどいよ秋人……。もぅ」
 「う……」
  ぺたんと地面に座り込み、瞳を少し潤ませながら恵が口を尖らせた。その姿に秋人は少し言葉が詰まる。昔から、秋人は女性に弱いところがあった。恵は女性でないのだが。
 「すまん……、が、お前の実力はわかった。改めてよろしくな」
 「うん……。よろしくっ」
  秋人と恵は、共に笑いあいながら手を取り合った。
 
  成美高校野球部、五人目の部員の誕生である。
 
 
  試合可能人数まで、残り四人。
 
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