浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問22
問
どんな悪をも犯しかねない人間の危うい相を教えられた親鸞聖人の御
言葉とその出典を書きなさい。
答
「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞もすべし」
(歎異抄 第十三章)
平成16年6月20日(日) 大塚出張所(茗荷谷)
教学講義 講師:中根繁会長
仏教とは、因果の道理を教えたもの。これをもっと詳しく言うと、因と縁
と果の道理という事ができる。因と縁が和合して、結果が出てくる。
因は、種。野菜の種を蒔けば、芽が出てくるように、我々も業因を蒔け
ば、その種に応じて結果が出て来る。
我々の過去は、いろいろな悪をやり続けてきたので、どんな結果も生み出
す因を持っている。
どんな事でも、縁がやって来れば、やってしまう。殺人者になる事も、詐
欺師になる事も、泥棒になる事も、嘘を吐く事も、またそういった被害に
遭う事も、縁があればどんなこともやりかねないし、どんな悪い結果も受
けかねない。
どんな人間も安定した人は、一人も居ない。ちょっとした事で罪を犯して
しまうもの。
殺人を犯す人は、人を殺す直前まで、「自分が人殺しになる」何て思って
もいない。
ところが、今まで普通の善い人に見えていた人でも、縁次第で人殺しに
なってしまう。
以前に、Tさんが、自転車に乗っている時に、自動車と衝突してしまった事
があった。
Tさんは、この時に怪我をする事はなかったが、ひどく痛がってみせたの
で、相手が加入していた対人保険の会社から70~80万円を支払って
貰った。
本当は、怪我をしていなかったのに「痛い、痛い」と言って、治療費など
を支払わせるのは、詐欺行為にあたるが、Tさんは自転車に乗るという悪い
縁を選び、自動車と衝突事故に遭うという縁が来るまでは、仏教を聞いて
いる真面目な人だった。ところが、交通事故という縁がやって来た事で、
詐欺行為をしてしまった。
一瞬、一刹那前までは、善良は市民で、詐欺行為を働いてしまった瞬間か
ら悪人となってしまった。
善人となるも、悪人となるも、紙一重である。
それを「自分は、悪い事をやっていない善い人間だ」と自惚れて、悪を犯
してしまった人を見下しているのは馬鹿げた事である。
ここでの「業縁」というのは、その縁を選んだ行為は業なので、「業縁」
と仰っている。
過去の業力によって悪縁を選ばされたというのは、間違い。それでは、宿
命論になってしまう。
正しくは、宿命論ではない。「自分で、その時々に縁を選び取っている」
と言うのが正しい。
自分が選んだ縁が、悪縁であった場合は、悪果がやって来るという事。
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【比較資料】
[[浄土真宗親鸞会 新教学聖典(2) 問(34)
問
「縁さえあれば、どんなことでもやる親鸞である」
と言われた聖人のお言葉と、その根拠をあげよ。
答
○さるべき業縁の催せば如何なる振舞もすべし。
(歎異鈔)
砂漠に捨てられた赤ちゃん
・・・
親鸞聖人は歎異抄に「さるべ
き業縁の催せば、如何なる振舞
もすべし」と教えられた。「人間
は、底知れぬ悪性を持っている
為に、悪い縁があればどんな恐ろ
しいことでもやってのける」と仰
しゃるのだ。・・・
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最終更新:2010年10月23日 19:25