山崎今朝弥(Kesaya Yamazaki)archive

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1. Books

(1) 『粗食養生論』(Soshoku youjou ron / Theory of lean diet regimen;隆文館 1907年)
(2) 『弁護士大安売』(Bengoshi ooyasuuri / Bargain lawyer for sale;聚英閣 1921年)

(3) 『山崎伯爵創作集』(Yamazaki hakushaku sousaku shu / The Earl Yamazaki fiction collection;平民大学 1924年)
  • 『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年)とおそらく同一内容と思われる。


2. Articles

『法律新聞』595号「法曹の片影」への寄稿文
堺利彦編著『売文集』への寄稿文
『月報』への寄稿文
『へちまの花』への寄稿文
『東京法律』への寄稿文
『平民法律』への寄稿文
『中外』への寄稿文
『霹靂』への寄稿文
『労働者新聞』への投稿文
『中央法律新報』への寄稿文
『婦人世界』への寄稿文
『労働週報』への寄稿文
『進め』への寄稿文
『解放』(第一次)への寄稿文
『改造』への寄稿文
『日本弁護士協会録事』への寄稿文
『局外』への寄稿文
『高尾平兵衛・久板卯之助追憶全集(民衆運動)』への寄稿文
『文芸市場』への寄稿文
『婦人公論』への寄稿文
『原始』への寄稿文
『解放』(第二次)への寄稿文
『法律戦線』への寄稿文
『世界の動き』への寄稿文
『堺利彦を語る』への寄稿文
『法律時報』への寄稿文
『無産者法律』への寄稿文
『法曹公論』への寄稿文
『社会運動通信』への寄稿文
『人物評論』への寄稿文
『労働』への寄稿文
『法律新聞』4074号「当り年法曹」より
『真相』への寄稿文
『毎日新聞』「建設」欄への投稿文
「奇文訴訟」の一例



3. Memorandum




4. Biography

宮地嘉六著「奇人山崎今朝彌」(『文藝春秋』への寄稿文)



【Column】




久板卯之助君を偲ぶ

久板卯之助君を偲ぶ
          山崎今朝彌
久板君の事が何か書いてないかと山崎伯爵疳作集『弁護士大安売』を出して見たら、日比谷警察人権蹂躙訴状の項に告訴人久板卯之助、望月桂、告訴代理人山崎今朝彌、被告人日比谷警察署長警視、増田傳次郎外大勢、傷害罪の告訴として、コンナ一節があつた。
一、大正九年十二月十日は日本社会主義同盟の創立大会当日なりしを以て、頑迷乱暴市内に冠たる日比谷署は猥りに政府の意を忖度迎合し独り其功を専らにせんと欲し云云九日夜十一時頃被告等に取押へられ途中打たれ殴られ蹴られ踏まれて云云此際被告増田は自宅にて大杯を傾け僕婢妻妾を相手に大に天下を論じ形勢を語り独り悦に入りしならんか、告訴人等の新入を聞き直に出署、酒気満面望月の居城に侵入し云云十数名の巡査と共に約七八分間目茶苦茶に打擲殴打し別紙の如く負傷して遂に人事不省に陥りたり。
二、平素温厚柔和羊の如く神の如き告訴人久板は隣室に在て被告等の乱暴を目撃し、激憤の極血相を変へ怒髪悉く逆立して狂ひ出し、天地も崩れん計りの大音声にて、『増田!野郎殴つたな!!!』と絶叫したるに、増田は酔尚醒めず部下を引率して今度は久板の房に進入し、飽くまで抵抗する久板を死物狂にて廊下に引ずり出し多勢を恃んで遂に重傷を与へて気絶せしめ漸く抵抗を止め得たり。
三、若し本件が三井三菱にあらず富豪官憲にあらざるが故に之れを不問に附すとせば司法権の独立もあつたものにあらず、  <空白>   現に今回の被害者は皆直接自救、チツトにタツトを高調し告訴代理人を信用して法律の正義と裁判の公平とを信じたるは只本件の二人のみ、希くは一切の情実を排し涙を揮て法を執り告訴代理人をして先見の明を誇らしむるなからむ事を。

原稿一枚の約束がイヤに長くなつた。時と場合で仕方がない。服部濱治君は今でもアノ時の久板の怒り方を思ひ出せばコワクなると云つてる。久板君は何も言はなかつたが、見た人は皆、久板は確かにアノ時死ぬ覚悟であつたに相違ないと言つた。久板君がモシ凍死しなかつたとしても、其後の形勢と久板君の性質からすれば、久板君は地震前に三四度地震後に二三回は必らず死んだに相違ない、黙々として只喜び、簡単として只働き、求めず、貪らず、平和を愛して人と争はず、怒らず、恨まず、誇らず、威ばらず、饒舌らず、出シヤ張らず、只金鉄の如き強固の意思と、烈火の如く熱烈なる信念とを以て行動する久板君を偲ぶときは、僕は必らずホーラの小説に出てくる一テロリストと神様とを思ひ出す。久板君を知つてる誰もが、久板は久板の如く死し、高尾は高尾の如し、大杉は大杉の如く死んだと云ふ、僕も神様の久板君は成程神様の如く凍死したと思ふ。併し久板君は神様ばかりではなかつた。地震の際まで生き延びて居たとしても命からがら逃げ来る鮮人をカバはずに居られたらうか、殆んど狂乱して一層血相を変へ「不逞」鮮人を「虐殺」から救ふあの神の如きアナキストの如き顔形を見た「大和民族」が、どうして久板君を見逃さうか。高尾が死んだ、平澤が死んだ河合が死んだ、労働者が死んだ主義者が死んだ、女が死んだ子供が死んだ、久板君がナンでアンカンポンカンと死なずに居れようか。僕は久板君が久板君らしく死ななかつたことを遺憾に思ふ(十四、一、十一)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊りは修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『高尾平兵衛・久板卯之助追憶全集(民衆運動)』(ピー・アール社)第2巻第2号45頁(大正14年(1925年)2月1日発行)>

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